2013-01-01から1年間の記事一覧

「とても」は本来、否定を伴う語法だったとは!

(第328号、通巻348号) 「とても」という副詞を「全然」との関連で本ブログに取り上げたのは6年前のことだが、正直に言えば、とても、が本来は打ち消しを伴う一種の“予告副詞”だということをそれまでは深く認識していなかった。だから、『日本国語大辞典』…

「忘却」と「失念」

(第327号、通巻347号) 「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」。1952年(昭和27年)から翌年にかけ放送されたNHKの連続ラジオドラマ「君の名は」の、有名な冒頭のナレーションである。明治時代、石川啄木に「さいはての駅に降…

肯定か否定か、文末の予測が「全然やりずらい」

(第326号、通巻346号) 「毎週1回発行をノルマにするのはきつい」「この際、しばらく休んでは」などとの思いやりの言葉を真に受け受け、暫く休筆していましたが、2週間ぶりに再開します。始めからスピードを出さず、ゆっくりとしたペースで、ポツリ、ポツ…

来週、再開します

(第325号、通巻345号) 先週から休筆しているブログ「言語郎」は、来週にも再開する予定です。これまで同様、ご愛読をお願いいたします。 柊木 惇

暫時休筆します

(第324号、通巻344号) 「捏造」の読み方を取り上げた前号は、軽い挿話として書いたものだが、筆者が予想もしなかったほど大きな反響が寄せられ、1週間のアクセス数も7400pv.を超えた。最近では珍しい大ヒットになったが、実はしかし、慣用読みが定着してい…

「捏造」の本来の読み方が「でつぞう」とは! 

(第323号、通巻343号) 「神の手」。日本の考古学の歴史を根底から塗り替えるような“旧石器”を次から次へと発掘してきた東北地方のアマチュア考古学者・F氏は、そう呼ばれていたが、実は「捏(でっ)ち上げの手」だった。今から13年前、毎日新聞はF氏の捏…

「員数」と「人数」

(第322号、通巻342号) 入学式、新学期が近づくと、辞書類の広告が目立ってくる。国語辞典だと、最新の単語をいかに多く収録し、新用法や用例の充実ぶりをうたうのが普通だ。しかし、その陰で旧版まで収録されていた語がかなり削られている。漏れた語が必ず…

続「こだわり」に「こだわる」

(第321号、通巻341号) よくもまぁ、これほど数多く収集したものである。『新明解国語辞典』の編纂者、山田忠雄主幹の著作『私の語誌』(三省堂)の第2巻は、副題に「私のこだわり」とある通り、「こだわる(名詞形、こだわり)」の用例のオンパレードであ…

「こだわり」に「こだわる」と

(第320号、通巻340号) テレビの料理番組や旅番組で老舗の郷土料理店や人気のそば屋、ラーメン店などの紹介コーナーをのぞくと、「こだわりの味」、「ダシにこだわる」という言葉がしばしば出てくる。別にグルメ番組に限らない。「彼は文房具にこだわってい…

「杮(こけら)落とし」の「杮」と果物の「柿(かき)」

(第319号、通巻339号) 建て替え工事中だった東京・東銀座の歌舞伎座が4月に「杮葺落興行」と銘打って新開場する。一般的に言えば「杮(こけら)落とし」である。歌舞伎界ではスター中のスターの看板役者が相次いで亡くなる悲劇に見舞われたが、歌舞伎座の…

「議論が煮つまる」とは結論が近いのか、まだ遠いのか

(第318号、通巻338号) 言葉の使い方に間違いは付きもの。意味の誤用・勘違い、読み違い、用字の混用……。当ブログでもこれまで、自分のミスは棚にあげて様々な角度から取り上げてきたが、読み間違い程度なら実生活に大きな支障はない。しかし同じ言葉が、人…

「チカメシ」「ヨコメシ」「タテメシ」 

(第317号、通巻337号) 松の内が過ぎたころ、昨年5月まで2年間、地域活動を共にした知人と久しぶりにたまたま出会った。知人との話が、立ち話にしては長引きそうな雲行きになったので、「(話の続きは)近いうちに一献傾けながらでも」と口にしたところ、…

音羽御殿での「鳩首協議」

(第316号、通巻336号) 義父が元総理、夫は元外相。ご自身はブリヂストンの創業家の長女として生まれた。鳩山由紀夫元首相と邦夫元総務相の母としても知られる鳩山安子さんが11日死去した。享年90。その経歴から“ゴッドマザー”の異名でも呼ばれた。 鳩山家…

「勧進帳」で記事を送る 

(第315号、通巻335号) 大事件が発生すると、新聞記者は現場へ急行する。取りあえず事件の概要をつかみ、周辺の様子をざっと観察する。締め切り時間に間に合わせるため一刻も早く原稿を送らなくてはならない。現在ならノートパソコンに原稿を打ち込み、本社…

「急須」も知らぬ高校生と「利休鼠」

(第314号、通巻334号) 「最近の高校生は、日本茶の入れ方を知らないばかりか、急須の使い方も知らない」――1月27日付けの朝日新聞社会面にこんな記事が出ていた。日教組の教研集会で家庭科の女性教諭が発表した内容だ。その先生の報告によれば、茶葉と水を…

鬼の霍乱? 開店休筆

(第313号、通巻333号) 自分の体のことを「病気のデパート」のようなもの、とふだん言っている私は頑健という言葉にはほど遠い身だが、不思議なことに家族が風邪で熱を出したり、体調が悪くで寝込むようなことがあっても、私自身はめったに高熱に見舞われる…

「白髪」も読み方次第で意味が異なる

(第312号、通巻332号) 唐の詩人・李白に有名な「白髪三千丈」で始まる五言絶句がある。冒頭の2文字はもちろんハクハツと読む。同じく「白髪」と書いてシラガと発音することもある。 どちらの読み方でも意味は実質的に同じなのだが、ニュアンス、用法は読…

おおらかに「新年明けましておめでとう」

(第311号、通巻331号) 個人的には少々ひっかかりを感じる「新年明けましておめでとう」という表現だが、知人や友人に聞いてみると、長い間言い慣わされてきた正月の挨拶なのだから、文法上の論理をあれこれ言うのはいかがなものか、という意見が少なからず…

「新年明けましておめでとう」再考

(第310号、通巻330号) 3年前の正月の「言語郎」に、年賀状の「新年明けましておめでとうございます」という文面について違和感を覚える、と書いた《注》。「明ける」自体に「年が改まる→新年になる」の意があるので、「新年」を主語の位置におくと、重複…