おおらかに「新年明けましておめでとう」

(第311号、通巻331号)
   
    個人的には少々ひっかかりを感じる「新年明けましておめでとう」という表現だが、知人や友人に聞いてみると、長い間言い慣わされてきた正月の挨拶なのだから、文法上の論理をあれこれ言うのはいかがなものか、という意見が少なからずあった。

    もともと、私がこの問題に関心を持ったのは、『明鏡国語辞典』(大修館書店)の編者グループが執筆した単行本『問題な日本語』の中のコラム「使うのはどっち?」を読んだのがきっかけだった。「『朝が明ける』『新年が明ける』は誤り。ほんと?」とのタイトルで以下のような小文が掲載されていた。

  ――夜が明けて朝になり、旧年が明けて新年になるのだから、「朝明け」「新年、明けましておめでとう」などの言い方はおかしいのではないかという疑問である。しかし、これは正しい表現で、「夜(旧年)が明ける」は現象の変化に、「朝(新年)が明ける」変化の結果に注目していうもの。「湯(風呂)がわく」「家が建つ」「穴があく」も同じ言い方。――

    『明鏡国語辞典』の編者代表を務めた北原保雄氏はその後出版した『日本語常識アラカルト』(文春文庫)ではもう少し詳しく持説を展開。「夜」が「明けた」結果として「朝」になるわけであり、「〜が」の個所に動作の主体である「夜」が来ても、動作の結果である「朝」が来ても同じ意味の表現が成立する。なお、この「朝」に相当する語を「結果主語」と呼ぶ――と述べている。

    「湯がわく」という表現なら、湯がわく前に水がわいていなくてはならないという理屈になる。文法に疎い私は、「結果主語」なる専門用語に目を奪われて、なるほどと思ったのだが、その後つらつら考えるに「水がわいた」とは言わないし、「朝明け」という言い方も聞いたことがない(「夜明け」ならあるが)。話を「湯」に戻すと、「沸く」とは『広辞苑』の語釈に従えば、「水が熱せられて湯となる」ことを指す。例文には「風呂が沸く」とある。
    
    『明鏡国語辞典』は、参考にすべき斬新な見解が多く、このブログでもずいぶん利用させていただいているが、事、「新年明けましておめでとう」をめぐる説明には無理があるように感じられてきた。年に1回の挨拶言葉なのだから、もっとおおらかに扱っていいように思う。この正月、我が家に来た旅行会社のダイレクトメールには「新年あけましておめでとうございます」に続けて、「謹んで新年のお慶びを申し上げます」という文言があった。さしずめダブりの“4重奏”である。