「うがった見方」とは

(第297号、通巻317号)

    うがった見方をすると、文化庁の国語世論調査の対象になった単語について当の文化庁の担当職員も“正解”の意味で使っている人はきわめて少ないと思う。

    文化庁が平成7年度(1995年度)からは毎年行っている「国語に関する世論調査」の平成23年度の結果が9月20日に公表された。興味深いデータがいくつかあったが、中でも驚いたのは、このブログの書き出しの太字部分の「うがった見方」の意味だ。調査では、「うがった見方をする」という言葉は,A)物事の本質を捉えた見方をする B)疑って掛かるような見方をする、のどちらの意味で使っているか、と質問しており、それに対してA)と答えた人が26.4パーセント、B)とした人が48.2パーセントだったという《注》。

    私自身の語感で言えば、A)もB)もしっくりこないが、二者択一で迫られたらB)と答えただろう。ところが、文化庁が本来の意味として“正解”扱いしているのはA)だった。これに驚いたのは、私だけではあるまい。20日夜のテレビ朝日報道ステーションでこの世論調査結果を伝えた司会者の古舘伊知郎氏も「私もずっと間違って使っていたようだ」という主旨のことを口にして、あわて気味に話題を変えた。話し言葉のプロの中のプロにしてもがそうなのだ。

    「うがつ(穿つ)」は、穴をあける、掘る、というのが原義。そこから物事の真相や人情の機微をしっかりとらえる、という意味が生まれた。朝新聞夕刊1面の続きもの「ニッポン人・脈・記」シリーズの一つとして9月下旬に連載された「石をうがつ」のタイトル名はまさに本来の正しい言葉遣いといえる。

    『明鏡国語辞典』第2版(大修館書店)には、[表現]の項目の中て「プラスイメージで使う。『あまりにうがちすぎた見方だ』など、深読みしてツボををはずす意で使うのは誤り」と断定しているが、そう言い切れるものか疑問だ。ツボをはずした見方では元も子もないが、物事の本質に迫ろうと「深読みして」「疑ってかかる」のは格別おかしいとは思えない。ただ、マイナスイメージが強くなるのは否めないが……。

    『日本国語大辞典』第2版(小学館)は「うがつ」の語義を7種類に細分化し、5番目の語義で「隠れた事情や細かい事実、また、世態や人情の機微を指摘する」を挙げており、その例文として夏目漱石の『吾輩は猫である』から「『何でも自分の嫌いな事を月並と云ふんでせう』と細君は我知らず穿(うが)った事を云ふ」を示している。

    『吾輩は猫である』の用例は、文化庁の調査で言えばA)ともB)とも言えないのではあるまいか。幅広いニュアンスを持つ語を単純に二者択一で問うという考え方にそもそも無理があると思う。


《注》 文化庁の調査は、A)とB)回答例の他に「分からない」「どちらでもない」など3種類の答えも用意されているが、実質的にはA)かB)かどちらかを選ぶ二者択一方式。