「議論が煮つまる」とは結論が近いのか、まだ遠いのか

(第318号、通巻338号)

     言葉の使い方に間違いは付きもの。意味の誤用・勘違い、読み違い、用字の混用……。当ブログでもこれまで、自分のミスは棚にあげて様々な角度から取り上げてきたが、読み間違い程度なら実生活に大きな支障はない。しかし同じ言葉が、人によってプラスイメージで使われたり、逆にマイナスイメージで用いられては混乱をきたす。

     典型的な例の一つが「議論が煮つまる」である。煮つまる、の元々の意味は、言うまでもなく鍋物などで中身のものが煮えて水分や汁がなくなることだ。その原義から転じて「議論が煮つまってきた」と言えば、「意見が出尽くして議論も大詰めになり、そろそろ結論の段階にきた」という意味が生じた。現に規範性の高い『岩波国語辞典』(第7版)も「議論などがすっかり出尽くす」との語釈を出している。私自身もまったく同じ解釈であり、それ以外の意味はないと思い込んできた。

     ところがなんと、同じ岩波書店発行の『広辞苑』(第6版=平成20年)には、
  [1]煮えて水分がなくなる。
  [2]議論や考えなどが出つくして結論を出す段階になる。「ようやく交渉が煮詰まってきた」
  [3]転じて,議論や考えなどがこれ以上発展せず,行きづまる。「頭が煮詰ってアイデアが浮かばない」
と、「行き詰まる」という[3]の意味が加わっていたのである。なんの説明もないので、[3]の意を『広辞苑』は正規の意味として認定していることになる。意地悪な見方をすれば、『広辞苑』は第5版まではこの語義を収録し忘れていたとも言える。

    この『広辞苑』の対応には合点がいかない。10年前に発行した第5版にはなかった語義なのに、一言の注意も断りもないとは辞書利用者に対して不親切きわまりない。同じ単語で意味が「プラス」と「マイナス」、意味が正反対になるのである。

    私憤はともかく、『明鏡国語辞典』(大修館書店)、『新明解国語辞典』(三省堂)、『三省堂国語辞典』など他の国語辞典にあたってみると、「行き詰まる」の意味に言及している方が実は多数派だった。これは私の勉強不足だった。ただし、「行き詰まる」の意をあげてはいても『明鏡国語辞典』(大修館書店)のように「近年、『議論が行き詰まる』の意で使うのは俗用であり、本来は誤り」と注記してほしいものだ。それが「国民的辞書」の責務ではあるまいか。