「模る」はどう読むか

(第224号、通巻244号)  
    
    前号で紹介したピーター フランクル氏の『美しくて面白い日本語』(宝島社)の続きである。語学の天才、フランクル氏がテレビのクイズ番組で立ち往生した漢字の読みは、「具に」(つぶさに)の他に3文字あった。「予て」「挙って」そして「模る」だ。
    
    このうち、「予て」は「かねて」、「挙って」は「こぞって」と読む、と知っている人も多いに違いないが、「模る」はどうだろうか。というのも、この字の訓読については、辞書によって扱いが微妙に違っているからだ。
    
    クイズでの正解は「かたどる」。まず、国語辞典で確かめてみよう。規範性が高いとされる『岩波国語辞典 第7版』では、「かたどる」の漢字は「象る」《注1》。「『……』に『――』の形で、元となる……の形を写し取って表す」の語釈に続けて「波に象った模様」の例文を挙げているが、「模る」の漢字はない。新語に強い『三省堂国語辞典』第6版も見出しにつけた漢字は「象る」の方。ただ、語釈の冒頭に「=形取る」と掲載している。ほかに『新明解国語辞典 第6版』(三省堂)や『ベネッセ表現読解国語辞典』も「模る」という漢字は載せていない。
    
    では、「模る」を「かたどる」と読むのは間違いなのか。と言えば早計だ。『現代国語例解辞典』第4版(小学館)を引くと「象る・模る・形どる」の3通りの漢字が添えられているのである。私が愛用する『明鏡国語辞典』第2版(大修館書店)にも、「かたどる」の見出しの下の漢字は「象る」と「模る」の2通りが載っている。さらに、中型国語辞典の『広辞苑』第6版(岩波書店)や日本最大の『日本国語大辞典』第2版(小学館)も同様だ。いずれも、1番目に「象」を挙げ、「模」は2番目という点が共通しているが、「かたどる」の漢字として「模る」を認めていることには変わりない。
   
     いったい、どういうことなのだろうか。漢字のことは漢字辞典に訊け、とばかりに漢和辞典など5種類の漢字辞典《注2》にあたってみた。名著の誉れ高い白川静博士の『字通』(平凡社)の「模」の項には、語義の一つとして「かたどる」が出ている。しかし、“字音”(音読み)としては「モ、ボ」の2種類、“字訓”(訓読み)として「かた、のっとる、もよう」の3通りが載っているだけだ。
   
     日本語に比重を置いた異色の漢和辞典『新潮日本語漢字辞典』の「模」の項には、“呉音”として「モ」、“漢音”として「ボ」を載せているだけで、意外なことに訓読みは見あたらない。その代わり、[解字]の説明で「かたどる、のっとる意となる」と記述しているに過ぎない。他の漢字辞典も「かたどる」の訓読みは示していない。
    
    こうして各種辞典を見比べてみると、「模る」を「かたどる」と読むのは正統とは言えない。逆に「かたどる」を漢字表記するなら、ふつうは「象」を使う方が多いが、「模」も間違いではない、という歯切れの悪い結論になってしまった。


《注1》 あるものの形に似せて、あるいは真似て作られた象形文字の「象」の意。
《注2》 本文中で明記した以外の漢字辞典は、『五十音引き 漢和辞典』(講談社)、『角川漢和中辞典』、『岩波漢語辞典』。ちなみに、新聞各社の用字用語の手引きでは、「かたどる」の項に、表外字のことわりを付して「象る・模る・形どる」を挙げているが、新聞記事に使う場合は、ひらがな表記が原則だ。