「間人」と書いて何と読むか 

(第254号、通巻274号)
 
    前号に引き続き漢字の読み方について。「人間」という2文字の順序を逆にして「間人」《注1》と書けば何と読むかご存じだろうか。京都など近畿方面の旅から戻り、最寄り駅に降り立って帰宅途中の知人とばったり出会った際、挨拶がてらの立ち話の中で「間人ガニ」《注2》と呼ばれる絶品のマツバガニを堪能してきたという土産話を聞いた。「間人」は「たいざ」と読むのだという。

    もちろん、この言葉自体は「かんじん」とも読む。白川静の大著『字通』(平凡社)の「間人(かんじん)」には「ひま人」の用義例がある。また、『新潮日本語漢字辞典』の「間人」の見出しの項には、2通りの読みが載せられている。最初に挙げられているのがやはり「かんじん」だ. 語義として「1)敵地に入り込んで情勢など探る人 2)用事がなくて時間をもてあましている人。また、俗世を離れて静かに暮らす人」と記述している。また、問題のマツバガニの場合の読みの「たいざ」は2番目。「1)京都府京丹後市の地名 2)姓氏の一つ」《注3》とある。このうち、京丹後の地名が絶品・間人ガニの名の由来だ。知人は、丹後の間人地区に足をのばしてきたのだろう。

    それにしても、「たいざ」という読みはどこから来たのだろうか。『広辞苑』では、「間人」の項では「まうと」の読みを充て「(マヒトの音便)。良民と賤民との中間の身分のもの。中間(ちゅうげん)。身分の低い百姓。→もうと」と説明している。しかし、「たいざ」の読みは『広辞苑』を含め国語辞典には掲載されていない。また、小学館の『日本大百科全書』には、「地名は聖徳太子の母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女に由来すると伝えるが、訓(よ)みについてはさだかでない」とそっけない。

    穴穂部間人皇女といえば、飛鳥時代用明天皇の皇后である。「はしひと」と「たいざ」。読み方が違うにしても、もっとも高貴な女性の名前と同じ表記の「間人」に、『広辞苑』に記述されている語義とはあまりに両極端過ぎて、とうてい信じられない思いがする。

    この疑問について、地元には次のような伝承が残されている《注4》。間人(はしひと)皇后は大和政権の曽我、物部両氏の間の争乱を避けるため、聖徳太子を伴って丹後の地に身を寄せたが、数年間の滞在の後に丹後を去る際、自らの名をこの地に贈った。しかし、住民たちは「呼び捨てにするなど恐れ多い」と遠慮し、皇后が退座(たいざ)したことにちなんで「たいざ」という呼び方にしたという。

    このように漢字の持つ意味・音とまったく関係のない読み方は、前号で扱った漢音、呉音、唐音や訓とは違い、「義訓」とか「熟字訓」とか呼ばれる。田舎(いなか)、山車(だし)、百足(むかで)などの類だ。

    なにかと雑事に追われる日々とはいえ、現役時代と比べるとリタイア後は「ひま人」の身。たまたま耳にした「間人ガニ」にヒントを得て今号は「間人」に絞りトリビア風にまとめてみた。


《注1》 「間」の読み方は、各種漢和辞典によれば、漢音では「カン」、呉音では「ケン」。訓読みは「あいだ、ま、はざま、あい、あわい」

《注2》 京丹後市のホームページ(http://www.city.kyotango.lg.jp/)などによれば、マツバガニの中でも、間人漁港で水揚げされ、厳選された「間人ガニ」は水揚げ量が少ないことから“幻のカニ”とも言われている。漁場まで30kmと近く、日帰り漁が可能なため、鮮度の良さは抜群。肉厚でとろりととろけそうな食感を求めて多くの食通が訪れるという。本物の間人ガニの証として「間人港」の文字と船名が書かれた緑のタグが付けられているそうだ。11月上旬〜3月下旬がシーズン。

《注3》 『新潮日本語漢字辞典』には、ししむと、たいり、はしうど、はしびと、はびと、まなべ、まびと、まむと、などの読み方も載っている。

《注4》 ウエブサイト「邪馬台国大研究 丹後半島の旅」(http://inoues.net/tango/tango_hanto1.html)を参照。