呉音は柔らかく、漢音は硬い

(第253号、通巻273号)
 
    今年の文化勲章受章者の1人、作家の丸谷才一氏が岩波書店の『図書』11月号「無地のネクタイ18」に「呉音と漢音」と題してこんな話を書いている。「中学1年生のころ、呉音と漢音のことが気になって仕方がなかった。同じ『今』でも古今集の場合はコで、古今東西のときはコとなる。キンが漢音でコンが呉音なのはわかるが、なぜ古今集をココンシュウと読まないのか」。
    
    丸谷氏が少年時代から抱いていた疑問が70年数年後、高島俊男氏の『ことばと文字と文章と』(連合出版)を読んで氷解したという。この本そのものはまだ私は目を通していないが、「呉音と漢音」について興味をそそられたので、たまたま手近にある高島氏の著作の中から『漢字と日本人』(文春新書)を見つけ、ほかに『日本の漢字』(笹原宏之著、岩波新書)や漢和辞典、百科事典などにも当たって漢字音について調べてみた。

    漢字の読みの区別として「音訓」と一口に言う。音は昔の中国の発音が日本に伝えられたものであり、訓はその漢字の意味に当たる固有の日本語を当てた読み方だ。「山」を例に取ると、音読みでは「サン、セン」、訓読みでは「かわ」といい、あるいは「川」という漢字だと、音読みで「セン」、訓読みの場合は「かわ」という。子ども知っている常識だ。このうち、「音(オン)」といえば、ばくぜんと「漢音」を指している思いがちだが、実は同じ「音」といっても中国の時代や地域、伝来のルートによっておおざっぱに分けても3種類の読み方がある。呉音、漢音それに唐音(宋音)である。

    「行」「経」「明」「頭」の4種類の漢字を例に、それぞれの読み方を挙げてみる《注1》。
       呉音=修(ギョウ)、堂(キョウ)、灯(ミョウ)、脳(ズ)
       漢音=進(コウ)、 典(ケイ)、 判(メイ)、 部(トウ)
       唐音=宮(アン)、 看(キン)、 代(ミン)、 饅(ジュウ)《注2》

    高島氏の『漢字と日本人』によれば、全体として一番多いのは漢音。弘法大師に代表される留学生たちが唐の都・長安で学んできた発音だ。当時の朝廷が「正音」として全国的に広めた。本ブログの冒頭にあげた古今集の「今」を呉音の「コン」ではなく、漢音で「キン」と読むのは、天皇の命により編集された勅撰和歌集だからである。

    呉音は漢音以前に日本に入ってきていた。中国南北朝の長江下流の沿岸(呉地方)の発音といわれるが、漢音のように系統的に伝来したのではないこともあって、「正音」扱いされなかった。それどころか、平安時代には漢音に駆逐されるような面も見られた。しかし、伝来の歴史が古いだけに民衆の間に根強く残り、今に伝わるものも少なくない。特に、仏教と医療関係の語に目立つ。二、三例を挙げれば、如来のニョライ(漢音ならジョライ)、供養のクヨウ(漢音ではキョウヨウ)、医療関係では外科のゲカ(漢音ならガイカ)、小児科のショウニカ(漢音ではショウジカ)などがそうだ。

    一般的に言って、呉音は音がやさしく耳にこころよい、漢音は音がかたく、ゴツゴツしている、と高島氏は指摘する。その例として「老若男女(ロウニャクナンニョ)」と「明日(ミョウニチ)」の漢音読みを挙げれば、前者は漢音だと「ロウジャクダンジョ」、後者は「メイジツ」となる。

    唐音(宋音)は12〜13世紀に禅僧や商人たちによって伝えられた発音で、日常あまり使われないので、今回は表形式の中で触れただけだが、呉音と漢音を比べるだけでも興味は尽きない。


《注1》 『社会人のための 国語の常識』(大修館書店)から引用。

《注2》 行宮は、アングウと読み、昔、天皇が京都を離れた場所に一時滞在したときの宿泊所の意。また看経はカンキンと発音し、声に出さないで経文を読むことの意。