京の祇園で「祇園精舎の鐘の声」は聞こえるか

(第168号、通巻188号)
     前回のブログで取り上げた文楽狂言。私が鑑賞した舞台は、京都観光客向けの「ギオンコーナー」(伝統芸能館)だ。名前の通り、花街・祇園にある。祇園といえば、舞妓さんだ。花のかんざし、だらりの帯にポックリをはいて歩く姿が思い浮かぶが、さて、そんな花街のあでやかで粋な祇園と、仏教的な無常観を語る平家物語の「祇園」とは関係があるのだろうか。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)を顕(あらわ)す」という冒頭の一節で有名な「祇園精舎」のことである。
    平家物語にいう祇園精舎はどこにあるのか(あるいは、あったのか)。一般的には、古代インドのコーサラという国の長者が釈迦と教団のためにその地の森に建立した僧房の名前を言う《注1》。精舎の中に病僧を収容する無常堂があった。病僧が死ぬと堂の鐘が自然に鳴った。釈迦の入滅時には、四方に立っていた(インド原産の常緑高木の)沙羅双樹が釈迦の死を悲しんでにわかに白色に変わった、と伝えられる《注2》。
    この伝承が涅槃(ねはん)経に取り入れられ、仏教の教義の一つになった。すなわち、この世の万象・万物は時々刻々生滅変転して、決してとどまることがなく、勢いが盛んなものも必ず衰える時がくる、という道理である。その無常観を端的に語った平家物語の冒頭の言葉が、琵琶法師の語りなどを通じて広く人口に膾炙(かいしゃ)したわけだ。
    今では、中学校や高校の国語の教科書にも取り上げられている。声に出して読むのにぴったりの口調の良い文体。それでいて重々しく、人の世のはかなさ、哀感をしみじみ感じさせる和漢混淆文(こんこうぶん)である。
    たまたま、先日、私の「第一の職場」時代の友人の訃報に接した。まだ63歳。「無常の風は時を選ばず」《注3》というが、才気煥発で健筆をふるい続け、人柄も無類によかった友の突然の死に「無常」を感じ、愕然としている。
    その友は、学生時代を京都で過ごした。若い頃、何度となく歩いたであろう「哲学の道」は、祇園からさほど遠くない。好奇心旺盛だった彼の事だからおそらく祇園見物にも足を運んだに違いない。
    無常堂を持った祇園精舎と、その対極にあるような舞妓はんの祇園。両者に接点があるとすれば、なにか。京都観光の折、家人に聞かれて返事につまった。この続きは次回にしよう。


《注1》 岩波書店広辞苑』第6版、ちくま学芸文庫『暮らしのなかの仏教語小辞典』など。
《注2》 小学館『全訳古語例解辞典』第2版。『岩波仏教辞典』には、木が白色に変わったという説のほかに、時ならぬ花が咲いたという話など諸説が紹介されている。また、日本で「沙羅の樹」と呼ばれているのはナツツバキであり、インドの「沙羅樹」とは異なる、という。
《注3》 『明鏡国語辞典』(大修館書店)によれば、人の命ははかなく、いつ死が訪れるとも分からないということ。
《参考》 『日本古典読本』(筑摩書房)、『ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)