黒衣と狂言回し

(第167号、通巻187号)
     文楽狂言雅楽京舞、茶道、琴、華道。いずれも日本の代表的な古典芸能である。しかし、茶道、琴、華道はともかく、前の方の4種類は平均的日本人にはふだん縁遠い芸能だろう。私自身、テレビなどでチラリ目にしたことがあるといった程度だが、実は先日、横浜から京都に家族で小旅行した際、これら7種類の芸を「堪能」する機会があった。
    と言うのは、ことばの綾で一つひとつの芸をじっくり見たわけではない。京都定期観光バスのコースの一つ「ギオンコーナー」(京都伝統芸能館)で駆け足鑑賞したのである。外国人観光客にも人気のあるナイト・スポットだそうで、1時間足らずのわずかの時間に一つの舞台で各種の伝統芸能・文化のエッセンスを垣間見たに過ぎないのだが、伝統芸能や日本の歴史文化に暗い私にはそれなりの発見があり、勉強にもなった。
    見ものの一つは、文楽人形浄瑠璃)《注1》の有名な「八百屋お七」の「火の見櫓(やぐら)の段」だった。純情な娘のお七が恋仲の小姓に会うために、ふだんは禁じられている火の見櫓の半鐘を打とうと櫓をあがる場面。はじめ3人いた黒衣(くろご)《注2》がいつの間にか舞台から消え、お七に扮した人形が足を滑らせながら櫓によじ登る。(大道具の)櫓の内側から黒衣が客席に見えないよう人形を操っていたわけだが、まるで本物の人間が演じているように感じられた。
    黒衣というのは、舞台で黒装束を着用する文楽人形遣いや、歌舞伎で役者の介添えや舞台道具を操作する裏方の人を指す(『新明解国語辞典』など)。芝居の登場人物とは見なされず、劇の中では「居ない者」として扱われる。それが客と出演者との間の「暗黙の了解」なわけだが、上述の場面の後段では、黒衣は舞台の上に本当にいないように見えた。究極の黒衣と言える。
    黒衣は、舞台用語から転じて「表面には出ないで、裏で物事を処理する人のたとえ」(『明鏡国語辞典』)にも使われる。「政界再編の黒衣役」などと用いられるが、最近は「黒衣役」に徹しきれず、自ら表舞台に出てしまうケースも少なくないようだ。
    「ギオンコーナー」で楽しかったのは狂言である《注3》。出し物は「棒縛(しば)り」。留守中に酒を盗み飲みされぬよう、主人が2人の召使い(太郎冠者と次郎冠者)の両手を棒などにしばって自由に動けないようにして出かけたのに、帰ってみると、2人は互いに助け合って不自由な手をうまく使って酒盛りをしながら主人の悪口を言い合っていた、という比較的知られた寸劇だが、役者のしぐさが大仰で分かりやすくて外国人観光客も面白がり、館内はしばしば笑いに包まれた。
    この劇の冒頭、主人役と太郎冠者役が登場、主人役が「自分はこれから用があって外出するが、いつも留守の間に召使いが盗み酒するのでそれを防ぐ手だてを考えた」と場面状況を語り、今後の展開について観客に予備知識を説明する。この役をいわゆる「狂言回し」《注4》と言うのだろう。
    日本の小説だと、夏目漱石の『吾が輩は猫である』の猫、英国のコナンドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズだと、ワトソン博士が「狂言回し」にあたる。そう言えば、私たち「お上りさん」を案内してくれた観光バスのガイドさんはさしずめ「狂言回し」役で、黙々とハンドルを握っていた運転手さんは「黒衣」役、ということになろうか。


《注1》 『日本大百科全書』(小学館)や岩波書店広辞苑』第6版などによれば、人形浄瑠璃を「文楽」というのは大正時代以降の呼び方。植村文楽軒が設けた操り芝居の文楽座の名にちなむ。
《注2》 「黒子」とも書くが、この表記だと「ほくろ」の意にもなる。また、「黒衣(黒子)」を「くろこ」と発音する向きもある。
《注3》 「狂言」にはいくつかの意味がある。『岩波国語辞典』第7版は、1)能楽の番組の間に演ずる古典的な喜劇、能狂言、2)歌舞伎芝居の出し物、3)たわむれに言う言葉、道理に合わない言葉、4)仕組んで偽ること、「狂言自殺」、の4通りの語義を挙げている。このブログで扱っているのは、もちろん1)の意である。
《注4》 『広辞苑』、『現代国語例解辞典』(小学館)などの辞書では、「歌舞伎狂言などで、主人公ではないがその狂言の筋の運びや主題の説明などに必要な役柄。比喩的に、裏で物事の進行を取り仕切る人」などと説明している。

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