続・京の祇園で「祇園精舎の鐘の声」は聞こえるか

(第169号、通巻189号)
    平家物語の「祇園精舎」が古代インドにあった寺だとすると、その鐘の声が京都の祇園で聞こえるはずはない。ただ、京の「祇園」はそもそも「祇園精舎」から取った名前なのである。
   釈迦が説法活動の拠点としていた祇園精舎は、「牛頭天王(ごずてんのう)」を守護神としていた。牛頭天王は、悪病を防ぐ神とされている。釈迦の時代から約1200年後の延暦13年(794年)、桓武天皇平安京に遷都してから間もなく京の町に疫病が流行した。
    どんな種類の病気か、今となっては定かではないが、「もがさ」と呼ばれた天然痘や「風病(ふうびょう)」と言われたインフルエンザなど様々な病気が相次いだのではないか、と言われている。平清盛が死んだのは、マラリアのせい《注1》とか、大仏建立に携わった職人の間で今で言う「公害」の水銀中毒死が次々起きた、とかという説もある《注2》。   
    医学が発達していなかった当時としては、神仏に頼るほか術はなかったのであろう。そのせいか、牛頭天王を祀(まつ)る寺社が日本各地に生まれた。疫病を鎮め、追い払おうと京の町に建てられたのが「祇園社(寺)」とされている《注3》。来歴には諸説あるが、冒頭で述べたように、祇園精舎にちなんで名付けられたという説が有力である。
    この祇園社は、「祇園感神院」とも呼ばれた比叡山延暦寺の別院だったが、明治維新神仏分離令が出されてから八坂神社と改称された。同神社や真宗大谷派のホームページ《注4》などによれば、八坂神社のある東山一帯は、渡来人の八坂造(やさかのみやっこ)一族が住んでいた所だったという。
    八坂神社の祭礼は「祇園祭り」と呼ばれ、今では日本三大祭りの一つになっているが、大きな寺社には参詣客が集まる。周辺は、こうした人々のために湯茶を出す店や酒・食事をサービスする店が次々と生まれる。そんな中で花街も形成される。舞妓は、その様式化された所作、優雅な舞い姿のイメージから祗園の象徴的な存在になった。
    単純化して言えば、京の祇園は、インドの祇園精舎にあやかって建てられた「祗園社」の門前町である。二つの「祗園」の接点は、疫病除(よ)けの守護神・牛頭天王にあったわけである。


《注1》 中国や朝鮮との交易を通じて、マラリアを媒介するハマダラ蚊も入ってきたのではないか、という説だ。
《注2》 大仏に塗る金メッキを作るため、金を水銀に混ぜ、水銀を蒸発させた、という。
《注3》 『デジタル大辞泉』には、「インドの祇園精舎の守護神。悪疫を防ぐ神として、日本では京都祇園の八坂神社などに祭られる」とある。
《注4》 八坂神社ホームページ(http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/)。真宗大谷派のホームページは(http://www.tomo-net.or.jp/book/word/22_01.html
【参考】 『岩波仏教辞典』、『暮らしの中の仏教語小辞典』(ちくま学芸文庫)、『全訳古語例解辞典』(小学館)、『詳説日本史研究』(山川出版社)など。