「忖度」と上下関係

(第170号、通巻190号)
    「忖度」を「じゅんど」と読んだら、そんな読み方はデタラメ、と冷笑されるのがおちだろう。ところが実はそういう読み方もあるのだという。日本最大の権威ある国語辞典が典拠を添えて紹介しているのだから間違いではない《注》。ただ、常識的には「そんたく」と読むのがふつうだ。
    相手の意向や考え、あるいは気持ち・心を思いやる。「忖度」は、そんな優しい心遣いの意味合いでも使われる言葉だが、昨年の秋頃から政治の世界で用いられることが目立ちはじめ、「忖度政治」という思惑ありげな形での“新語”も登場。この1〜2ヵ月はさらに頻繁に目にすることが多くなった。
    最近では、民主党生方幸夫副幹事長の解任が問題になった時、マスコミ各紙(誌)は、小沢幹事長の意向を側近が「忖度」した結果だ、とか、またも「忖度政治」が繰り返された、とか論評した。
    忖度という語は、三省堂新明解国語辞典』 が「他人の気持ちをおしはかる、意の漢語的な表現」と解説しているように、日常の会話ではめったに耳にしない。若い世代だと読めない人の方が多いかもしれない。(「おしはかる」は「推し量る」とも表記する)
    読み方はともかく、「忖度」を構成している文字のそれぞれの意味は私自身も知らなかった。平凡社の『字通』、学習研究社の『漢字源』などの漢和辞典を引くと、「忖」は「心をもってそっとおしはかる」こと、「度」は「(席などの)長短、大小をはかる」が原義、とある。つまり、「忖」も「度」も同じ語義なのである。
    通常は、「社長の真意を忖度すれば……」とか「彼女の気持ちは忖度しがたい」というような形で使われる。小学館の『日本国語大辞典』には、小林秀雄の評論集から「ピカソの真意を忖度(ソンタク)しようとすると」という一節や福沢諭吉の『文明論之概略』から「他人の心を忖度す可らざるは固より論を俟たず」という個所を引用して例文に挙げている。
    これらの例文にも見られるように、忖度という語には、忖度する側にも、される側にも特段の上下関係が必ずしもあるわけではないが、昨今の語法は少し偏っているように思われる。
    昨年12月、来日する中国の要人と天皇の特例会見を小沢民主党幹事長が強引に進めた、と問題になった際、小沢氏は「陛下ご自身に聞いてみたら、会いましょうとおっしゃると思う」と語り、天皇の意向を勝手に忖度するとは、と問題をさらに大きくした。
    最近は、生方解任迷走劇のように、小沢幹事長の意向・考えを側近が忖度して騒ぎになるケースが急増している。奇しくも、小沢氏が焦点の人になっているが、ここで指摘したいのは、上位の者、身分の上の者に対して下の者が忖度していることだ。
    そう言えば、戦後間もないころ、日本政府もマスコミも時の「権力者」GHQ(連合国総司令部)の意向を忖度して事を進めていたものだ。忖度という言葉の裏には、上下関係、権力関係が隠れていることも多いのだ。


《注》 『日本国語大辞典』第2版(小学館)は「そんたく」とは別に、「じゅんど」の見出しを立て「“じゅん”は“忖”の呉音」と注記の上、「他人の心をおしはかること。そんたく」と記述し、室町時代の「節用集」の語義を例に出している。しかし、手元にある中小型の漢和辞典には、“忖”を“じゅん”と呼ぶ例は載っていない。