『新明解国語辞典』最新版――変わらぬ個性的な語釈 

(第255号、通巻275号)
  
    三省堂の『新明解国語辞典』は、辞書好きの間では「新解さん」(以下、「新明解」と略)の愛称で知られる《注1》。その第7版が「本日発売」と12月1日付けの朝日新聞朝刊に全面広告で掲載された。「日本で一番売れている国語辞典」のキャッチコピー付きだ。辞書マニアをもって任じる言語郎としては、是も非もない、すぐさま近所の書店にかけつけ買い求めた。

    新しい種類の辞典が出版される時、あるいは第6版から第7版になった、今度の『新明解国語辞典』のように改訂版が出される時は、新しく収録された新語に注目が集まりがちだ。だから出版社側は、「新語をいくつ入れ、収録項目はいくつに増えた」などと新語収録をうたい文句にしがちなのだが、『新明解』第7版の場合は、いささか様相が違う。

    「本日発売」の新聞広告には、20の単語の語釈(1語は運用説明のみ)を載せているが、どれも7版になって初めて収録したものではない。若干、記述を変えた個所はあるもの、総体的には6版と同じだ。しかし、そのユニークな語釈こそが『新明解』の売りなのだ。広告に掲載された“自信作”の語釈の中から下記にいくつか例を挙げてみよう。比較のため、各項目の下段の【 】内に規範性の高いとされる『岩波国語辞典』(第7版、以下「岩国」と略)の語釈を添えた。

  ●善処=相手の意向を聞いた上で、公事として処理すること。政治家の用語としては、さし当たってはなんの処置もしないことの表現に用いられる。
      岩国:【適切に処置すること。うまく、かたをつけること】
  ●政界=不合理と金権とが物を言う政治家の世界。
      岩国:【政治に関係する人々の社会】
  ●世の中=社会人として生きる個個の人間が、だれしもそこから逃げることのできない宿命を負わされているこの世。一般に、そこには複雑な人間関係がもたらす矛盾とか政治・経済の動きによる変化とかが見られ、許容しうる面と怒り・失望をいだかせる面とが混在するととらえられる。
      岩国:【人々が生活しているこの世。世間】
  ●凡人=自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。家族の幸せや自己の保身を第一に考える庶民の意にも用いられる。
      岩国:【特にすぐれた点もない人。普通の人。また、つまらない人】
  ●好人物=気だてがよくて、相手に好感を与える人。俗に、人のいいのだけが取り柄で、ものの役に立たない人の意にも用いられる。
      岩国:【気だてのよい人。お人よし】

     どうだろう! 並べて見ると、あまりの違いに驚くばかりだ。『岩波国語辞典』が劣る訳ではない。「岩国」の方が辞書としては、むしろ王道をいく正統派そのものだ。『新明解』の語釈は、国語辞典のワクを超えて編集者の人生観、処世術、趣向が色濃く出過ぎている《注2》。時にはそれが主観的な文明論になることもある。個性的と評される由縁だ。その一例を以下に。

  ●動物園=捕らえて来た動物を、人工的環境と規則的な給餌(きゅうじ)とにより野生から遊離し、動く標本として一般に見せる、啓蒙を兼ねた娯楽施設。
      岩国:【各地から各種の動物を集め、できるだけ自然の状態で飼っておく施設。観覧者を入れる公園ふうのものが多い】

     以上、個性的な語釈の一端を紹介したが、他の辞典と違うばかりでなく、「新明解」』自身も版を重ねながら語釈に相当手を加えている。「新解さん」の名を一躍高めた「恋愛」の語釈の変遷を含め、次回以降もしばらく辞典の話を続けよう。


《注1》 赤瀬川原平著『新解さんの謎』(文春文庫)や夏石鈴子著『新解さんの読み方』(角川文庫)でこの愛称が一般に広まった。第6版をテーマにした『新解さんリターンズ』(角川文庫)もある。

《注2》 『新明解』は中学校の指定辞書に採用している所が多いと言われるが、私見では、中学生向きとは思えない。野球で言えば、直球の前にスライダーやフォークボールなどの変化球の投げ方を教えるようなものだ。中学生には、オーソドックスな語釈の辞書を薦めるべきだと思う。『新明解』は高校生以上、それも2冊目の辞書としてならぴったりだ。

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