辞書も追認「鳥肌が立つ」の新用法

(第291号、通巻311号)

    メダルラッシュに湧いたロンドン五輪が閉幕した。14日付けの朝日新聞の1面コラム、天声人語は「日本選手団のメダルは過去最多の38個。これにて彼らは重圧から、我らは寝不足から解放される」と書いた。まことに言い得て妙だ。

    テレビで五輪の実況中継を見ながら感動的な名勝負や予想外の試合展開に「鳥肌が立つ」思いをした人も多いだろう。私もその1人だ。しかし、意外なことに、感動した時に「鳥肌が立つ」と表現するのは、昭和の終わりから平成に入ったころになって広まった新しい用法のようだ。

    ちなみに、1998年(平成10年)11月11日発行の『広辞苑』第5版の「鳥肌」の項には「皮膚が、鳥の毛をむしり取った後の肌のように、ぶつぶつになる現象。強い冷刺激、または恐怖などによって立毛筋が反射的に収縮することによる。俗に『総毛立つ』『肌に粟を生ずる』という現象」と百科事典並に詳しい説明がほどこされているが、用例は寒さの時の一文のみだ。

    このような解釈は国語辞典だけではない。言語学者国広哲弥氏は『日本語誤用・慣用小辞典』(講談社現代新書、1991年3月発行)で、「筆者などの用法では『鳥肌が立つ』というのは、きたならしい毛虫とか蛇などの大嫌いなものに出合ったり、森の中を歩いていて突然首つり死体に出合ったりしたときの、ゾーッとした気分を表す」と書いている。その上で「ところが最近、このような表現が、感激状態を表すのに使われるようなった」と述べて用例文を2、3添え、どうしてこのような使い方が発達したのか不思議だ、と疑問を呈している《注》。

    しかし、寒さや恐怖から「鳥肌が立つ」ことも、感激、感動して「鳥肌が立つ」ことも、非常に強い情動を表している点では共通しており、今やごくふつうに用いられている表現だ。このような状況を反映して最近刊行された国語辞典は、感動した時の用法も認めつつある。もっとも、容認の仕方に消極的から積極的な記述まで辞書によって差はある。ただ「誤用」と決めつけているものは見当たらない。

    具体例を挙げれば、『明鏡国語辞典 第2版』(大修館書店)はこんな具合だ。「近年「感動で『あまりのうれしさに鳥肌が立った』などといい意味で使うのは、本来的ではない」。また、ユニークな語釈で知られる『新明解国語辞典』第7版(三省堂)は運用欄に「慣用句『鳥肌が立つ』は、本来の寒さや恐ろしさでぞっとする意から転じて、『負けたと思っていた味方チームが9回裏に逆転満塁ホームランを打ったのを見て鳥肌が立った』などとひどく感激する意に用いることがある」と述べながらその後に続けて「規範的な立場からは容認されていない」と保守的な立場を明らかにしている。

    その一方で、『広辞苑』は第5版の記述を改め、2009年発行の第6版で「近年、感動した場合にも用いる。『名演奏に鳥肌が立った』」と容認派に転じ、新語・新用法の収録に積極的な『三省堂国語辞典 第6版』は、「強い感動をうけたとき」にも用いる、と語釈の中で明記し、例文に「鳥肌が立つほどの名演技」を挙げているほどだ。

    時代とともに言葉の使われ方が変化するのは当然のことであり、「鳥肌が立つ」の新用法は、もはや市民権を得たといえる。


《注》 2010年1月発行の『新編 日本語誤用・慣用小辞典』では、「鳥肌が立つ」の項目は姿を消している。「新編」の「まえがき」で「前からある項目の中にも新しく書き改めたり、実例を追加したりして手を加えたものがある。以前には誤用と判断したけれども、その後誤用の域を脱したと考えて削ったものもある」と述べられているとこからみると、著者は「誤用の域を脱した」と判断したのだろう。