「雪辱を晴らす」は重言、正しくは「雪辱を果たす」

(第292号、通巻312号)

    ロンドン五輪後の余熱も、先日行われたメダリストたちの銀座パレードで一段落した感じだが、五輪に限らずスポーツや選挙など勝ち負けに関係する世界では「雪辱」という言葉がしばしば登場する。「北京五輪の雪辱を目指し、猛練習してきた甲斐があった」「前回の総選挙の雪辱を期したい」などという具合だ。

    しかし、うっかり「雪辱を晴らす」と用いる人がかなりいる。いや、うっかりではなく、雪辱は晴らすものだ、と思い込んでいるケースの方が多いかもしれない。実は、この用法は間違いなのである。正しくは「雪辱を果たす」だ。

    雪辱の「雪」は、漢和辞典の『字通』(平凡社)によれば、すすぐ、そそぐ、ぬぐう、きよめる、のぞく、ふきとる、 しろい、きよらか、という意味だ。雪のように白くきれいにする、ことから来ていると思われる(「晴らす」もほぼ同義)。「辱」は文字通り、はずかしめ、恥、の意だから、2文字合わせて「恥をすすぐ」ことという意味になる。従って「雪辱を晴らす」は、馬から落馬する、と同じような“重言”(じゅうげん)になってしまう。

    『明鏡国語辞典』(大修館書店)では、はっきりと「雪辱を晴らす」は誤り、と断定して注意をうながしている。けれども、実情は、『デジタル大辞泉』(小学館)が雪辱の項目にわざわざ[補説]を設け、「文化庁が発表した平成22年度『国語に関する世論調査』では、『前に負けた相手に勝つこと』を表現するとき、本来の言い方である『雪辱を果たす』を使う人が43.3パーセント、間違った言い方『雪辱を晴らす』を使う人が43.9パーセントという結果が出ている」と驚いているほどだ。

    もともと、雪辱という言葉は、恥や精神的な屈辱をそそぐ、という本義から競技などで以前に負けた相手に勝って敗れた相手を見返し、名誉を取り戻す、という意味に転用されたものようだ。その過程で「屈辱を晴らす」と混用したと思われる。正しくは「雪辱を果たす(期す、遂げる)」あるいは単に「雪辱する」で良い。これと似た言葉に「汚名挽回/汚名返上」があるが、こちらは異説もあり、単純にはいかないので、扱いは次回に譲ろう。