「汚名挽回」と「汚名返上」

(第293号、通巻313号)

    先週のブログの末尾で予告したように今回は、「雪辱を晴らす」「雪辱を果たす」と似た用法の「汚名挽回」「汚名返上」を取り上げる。この2語のうち正しいのはもちろん2番目の「汚名返上」であり、「汚名挽回」は典型的な間違い・誤用である――そう教えられ、長い間そう信じこんでいた。

    ところが、言葉についての辛口エッセーで有名な高島俊男著『お言葉ですが…』(文春文庫)シリーズの第5巻「キライなことば勢揃い」に「『汚名挽回』という言い方は間違いでない」というある読者の説をめぐって高島先生がその説の論拠にいたく感心している個所があって驚き、少しばかり調べてみた。

    一般的には、「汚名」は挽回する対象ではない。汚名とは悪い評判、不明な評判のことであり、挽回とは失ったものを取り戻す意だから、「汚名挽回」というと、マイナス評価を挽回する・取り戻すということになってしまう。常識的には考えられないことだ。逆に汚名をそそぐ、返上するというなら分かる。「汚名挽回」と用いるのは、「名誉挽回」と混用した、よくある間違いとされてきた。だからマスコミの用字用語辞典の類には、「誤りやすい慣用句・表現・表記」として「汚名を挽回」「汚名を回復」は「汚名を返上」「汚名をそそぐ」とするよう注意をうながしている(『朝日新聞の用語の手引き』)。

    国語辞典もたいていは、汚名の項には用例として「汚名返上」を挙げているだけだ。例えば、『広辞苑』も『新明解国語辞典』も同じような扱いだ。『大辞泉』はもっと踏み込んで「汚名」の項に長めの[補説]欄を設け、次のように記している。
 〔 「汚名挽回」「汚名を挽回する」は誤用。「汚名返上」「汚名を返上する」「名誉挽回」「名誉を挽回する」が正しい使い方。文化庁が発表した平成16年度「国語に関する世論調査」では、「前回失敗したので今度は〜しようと誓った」という場合に、本来の言い方である「汚名返上」を使う人が38.3パーセント、間違った言い方「汚名挽回」を使う人が44.1パーセントという逆転した結果が出ている 〕。

    このような辞書界にあって異色なのが、『明鏡国語辞典』(大修館書店)である。同辞典の「汚名」の項は「悪い評判。不名誉」と語義を示した後、「敗将の汚名をすすぐ(そそぐ)」「万年最下位の汚名を返上する」と常識的な例文を挙げているのだが、それに続けて「『汚名挽回は誤用である/誤用でない』の両説がある」とサラリと述べているのである。通説に対しての異論だ。この意見は、冒頭で紹介した高島氏も「推服」したという説に通じるものだ。『明鏡国語辞典』の編者グループは、単行本の「問題な日本語」シリーズで詳細に論じているので、引き続き次週で取り上げたい。