「足をすくわれる」は「足元をすくわれる」に変化の過程?

(第266号、通巻286号)
    
    言葉はいつの間にか変わっていく。意味も、語彙も、用法も、さらには文法も。これからしばらくは、言葉の用法を中心にエピソード風につづっていきたい。

    最近、ある本を読んでいたら「足元をすくわれる」という表現に出合った。すきを突かれて失敗した、というような文脈だったが、それなら「足をすくわれる」という表現になるのではあるまいか。「足元を」か「足を」か。どちらが正しいのか自分自身にも迷いが生じてきたので、何冊かの辞書に当たってみた。言葉が変われば、辞書にも少しずつ変化の兆しが表れてくるからだ。

    まず、愛用の『明鏡国語辞典』(大修館書店)。2002年12月発行の初版だ。「足」の見出しの項に約50行ものスペースをさいて語釈を解き、慣用句をあげなながら、「足元をすくわれる」も「足をすくわれる」も見当たらない。新しい用法に寛大な辞書にしては意外だったが、2010年12月発行の第2版には詳しく載っていた。「足を掬(すく)われる」の子見出しを立て「思いがけないことで失敗させられる」と語義を述べ、注として「近年、俗に『足元を掬われる』とも言うが、本来は誤り」と解説を加えている。さすがである。

    『広辞苑』(第6版)や『岩波国語辞典』(第7版)、『新明解国語辞典』第7版(三省堂)は、受け身でなく「足を掬う」という能動形で同じ意味を掲載しているが、「足元」の誤用には言及していない。『三省堂国語辞典』(第6版)の場合は、「足をすく(掬)われる」の形で慣用句を子見出しにし「ひきょうなやり方ですきをつかれる。足もとをすくわれる」としている。つまり「足を〜」も「足もと〜」も同じ言葉として扱い、なんら区別していないのである。この記述は不正確であり、不十分だ。「足もと〜」と言うのは本来は誤用、と注意を喚起すべき、と思う《注》。

    数種類の国語辞典をざっと見た限りでは、『明鏡国語辞典』(第2版)の扱いがベストだが、ネット検索では「足元をすくわれる」の方が、正用の「足をすくわれる」より圧倒的に多いとか。誤用が多くなってくると、辞書もまた追認し、やがてそれが自然な語法になっていくのだろう。


《注》 「あしもと」は、「足元」のほかに「足下」、「足許」、「足もと」の表記も見られる。