「馬鹿言うな」「馬鹿言え」否定形と肯定形

(第290号、通巻310号)

    先週扱った「何気に」の同類の言葉に「さりげに」がある。本来なら「さりげない(く)」と言うべき言葉だ。漢字で書くと「然り気無い」。『明鏡国語辞典 第2版』(大修館書店)には「はっきりした考えや深い意図もなくふるまうさま。また、そう見えるようにふるまうさま。なにげない」とある。さりげない会話から重要な証言を引き出す、などと使う。

    しかし、「さりげない」の「ない」を取り、形容動詞活用語尾「に」を付けて副詞化した「さりげに」は、「なにげに」と同様に誤りと『明鏡国語辞典』は注記している。

    そもそも、「さりげない」の語幹の「さりげ」は「そのような様子、気配(けはい)」という意味なのだから、「さりげに」だと「そのような気配がある」という意味になってしまう。理屈から言えば否定形が肯定形に変わるはずなのに否定形の「さりげなく」と同じ意味で使われてもさほど違和感を覚えないのが不思議だ。

    肯定形と否定形ではこんな例もある。命令文だが、「馬鹿も休み休み言え」と「馬鹿言うな」。片や「言いなさい」といい、片や「言ってはならない」という。形式的には、完全に反対語同士だが、意味は「見え透いた愚かしい意見を強く否定している」(『明鏡国語辞典』)という点では完全に一致している。

   「馬鹿を言え」は「馬鹿なことを言えるなら言ってみろ」の省略形で、「ほら、言えないだろう」と反対の結論を期待しての“反語”的用法とみることもできるが、理論的な説明は私には思いつかない。ただただ、言葉の面白さに引き込まれるばかりだ。