はて「老人語」とは?

(第107号、通巻127号)
    「慣用読み」を扱った先週の当ブログはいつもより反響が大きく、1週間のアクセスが2,000pv(ページビュー)を超えた。反響の中で意外だったのは、「『固執』の読みの説明についての指摘だった。「‘こしゅう’と言うのは『‘こしつ’の老人語』と説明している」辞書《注1》を紹介したところ、「老人語」扱いにショックを感じた、という声がいくつか寄せられたのである。たしかに、辞典の表記で雅語とか俗語、口頭語とか「位相」を示す説明語の一つとして「老人語」という語を使っている例は、この辞書、『新明解国語辞典』 (三省堂)をおいて他にない。
    老人語とは、同辞典の第6版の定義によれば、「すでに多くの人の常用語彙の中には無いが、高年の人には用いられており、まだ死語・古語の扱いは出来ない語」とされる《注2》。そして、例として4語挙げているが、その一つに「よしなに」があった。「どうぞ、よしなにお取り計らいください」のように用いる「よしなに」である。この言葉まで老人語とは、私自身も少々驚いた。
    『明解国語辞典』の初版を事実上一人で編纂し、その後『新――』と書名を変えて以後も途中の版まで編者に名を連ねた見坊豪紀氏(現『三省堂国語辞典』編集主幹)は『辞書と日本語』(玉川選書)で「“老人語”とは、『新明解国語辞典』が、ことばの使用相のレッテルとして設けたものの一つで同辞書の独創であるが、辞書の発売(昭和47年1月24日)と同時に各方面で話題になった」と記し、言語学者外山滋比古氏や英文学者の朱牟田夏雄氏らが自分の常用語が老人語のレッテルを張られたことに憤慨したり、驚いたりしたエピソードを紹介している。
    では、どんな語が老人語とされているのか。最新の『新明解国語辞典』第6版からいくつか拾ってみよう(最初の語が老人語)。
    あいじゃく(愛着)→あいちゃく、しょけん(書見)→読書、しんしょう(身上)→資産、あさゆ(朝湯)→朝ぶろ、そらんじる(諳んじる)→暗唱する、ゆさん(遊山)→ピクニック、いまもって(今以て)→いまだに、かように(斯様に)→このように、……などだ。
    もちろん、多くは今はほとんど使うことがないと思われる言葉なのだが、しかし上述の例で言えば、会津民謡「会津磐梯山」で有名な「小原庄助さん なんで身上つぶした 朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上つぶした ああもっともだ もっともだ」も歌いにくいし、「物見遊山」するのもはばかれるような気がする。
    中には、以前の版で、老人語としていたのを変えた例もある。「いかようにでもご要望に応じます」のように使う「いかように」は、第2版では「『どんなふう』の意の老人語」となっていたが、その後の版で「『どのよう』の意の老人語」となり、さらに現行の第6版になると、「『どのよう』の意のやや改まった表現」と変わり、「老人語」の扱いが消えている。あるいは、発疹。第5版までは「‘ほっしん’は‘はっしん’の老人語」だったのが、第6版では「‘はっしん’の古風な表現」と和らげたり、「執着」のように「‘しゅうじゃく’は‘しゅうちゃく’の老人語」としていたのに最新版では‘しゅうじゃく’を単に 空見出し扱いに落とし、「老人語」扱いをやめているケースもある。
    きわめて個性的な語釈で知られる『新明解国語辞典』は、引くというより読んで面白い辞典としてはピカイチなのだが、「老人語」の表記には私も以前からひっかかってはいた。見坊氏は前述の著書の中で「『新明解国語辞典』をものさしに使えば、自分のことばの‘老人度’が測定できる」と茶化しているが、まぁしかし、本来からいえば、こちらの方が正しい用語であり、語法なのだからいかようにでも堂々と使えばいいのだ。

《注1》 前回のブログの該当個所:例えば「固執」は、今では「こしつ」と読むのが一般的だが、本来は「こしゅう」と言った。『新明解国語辞典』第6版(三省堂)では「こしゅう」の項に「‘こしつ’の老人語」として語義は「こしつ」の見出しの方に載せているほどだ。

《注2》 『新明解国語辞典』の第2版では、「中年・高年の人ならば日常普通のものとして用いており、まだ文章語・古語の扱いは出来ない語」となっていた。つまり、途中の版までは「中年」が入っており、また第3版からは「文章語」の個所が「死語」に変わった。