「勧進帳」で記事を送る 

(第315号、通巻335号)

    大事件が発生すると、新聞記者は現場へ急行する。取りあえず事件の概要をつかみ、周辺の様子をざっと観察する。締め切り時間に間に合わせるため一刻も早く原稿を送らなくてはならない。現在ならノートパソコンに原稿を打ち込み、本社や支局へ素早く送信できる。しかし、今から十数年前まではそう簡単ではなかったようだ。
    
    原稿を書く場所も、時間的余裕もない場合は、メモ帳の走り書きをもとに、あるいは同僚の情報もまじえて、頭の中だけで記事の形にする。「事件のあった現場は、○○市の官庁街の中心部にあり、(えーっと)県庁や市役所の建物が……」などと時折つかえながらも文章にしていく。いわば「空(そら)」で原稿を電話に吹き込むのである。これを業界用語で「勧進帳」という。

    この業界用語は、歌舞伎十八番の一《注》の演目「勧進帳」から来ている。勧進とは寺・仏像などの建立や修繕のため寄付を集めること、勧進帳はその趣旨を記した巻物を指す。

    壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした源義経は、猜疑心の強い兄の頼朝に追われ、武蔵坊弁慶らわずかの家来と共に京都から奥州平泉の藤原氏の元へ落ちのびる途中、加賀の国の安宅の関所(現在の石川県)で怪しまれたが、弁慶の機転で難を逃れた。

    その際に重要な役を果たしたのが「勧進帳」だった。山伏に変装していた一行の身分を疑われると弁慶は、東大寺復興勧進のため諸国を回る役僧と称し、何も書かれていない勧進帳(寄付帳)を朗々と読み上げるなどして危機を乗り切った。何も書かれていないのに記事を作って送ることを勧進帳と呼ぶようになった由縁である。

    勧進帳の演目は、先日急逝した歌舞伎界の大看板、市川団十郎が得意としたものの一つだ。歌舞伎の舞台は数える程しか観たことがないが、4月にこけら落としする新・歌舞伎座でぜひ観たいと思っていたのは、団十郎勧進帳だった。個人的な感慨はともかく、団十郎の死は歌舞伎界全体にとって、言い表せないほど大きな損失だ。中村勘三郎に続く歌舞伎界の悲劇に言葉もない。


《注》 「十八番」(おはこ)は、得意とする芸を指すが、『明鏡国語辞典 第2版』(大修館書店)などの辞書によれば、箱に入れて秘蔵する意で、江戸歌舞伎の名門・市川家がお家芸とする歌舞伎十八番の台本を箱に入れて大切に保管したことから出た言葉という。