「野分」の読み方と意味

(第242号、通巻262号)
    
    前回取り上げた「ゆきあいの空」は秋の季語にはなっていないようだが、「野分」は代表的な秋の季語である。この語を私が知ったのは、たぶん夏目漱石の小説の題名『野分』からだったと思うが、明確に意識したのは高田三郎作曲の男声合唱曲『野分』を初めて聴いた時だった。曲のすばらしさに打たれ、さっそくCDを買い求めた。
    
     歌詞は、井上靖散文詩からとったものだ。「『いちじんの疾風(はやて)とともに、みはるかす野面の涯に駈けぬけて行ったもの』に『冷たく、背を打たせ、おもてを打たせ』その野分の中に立ってみずからを耐えている」と作曲家の高田は、井上の詩を引用しながら自曲のCDアルバムの中で解説している。井上自身は「野分」を「いわば季節の慟哭(どうこく)とでも名付くべき風」と作家らしい言葉遣いで表現しているが、慟哭は時に、各地に甚大な被害をもたらした今年の台風12号のように激し過ぎることもある。  
    
    野分は、「野の草を分けて強く吹き通る風」が元来の意。特に二百十日、二百二十日前後に吹き荒れる暴風を指す。台風の古称でもある。万葉集枕草子源氏物語にも登場する古い和語だが、「のわき」と読むのか「のわけ」と読むのか、この言葉を目にするたびに迷った。しかし、結論から言えば、まったく迷う必要はなかった。昔からどちらの読み方も「有り」だったのだ。『日本国語大辞典』第2版(小学館)にも「のわきのかぜ。のわけのかぜ。のわけ」と出ている。
    
    ちなみに漱石の『野分』の中では、「白き蝶の、白き花に、小き蝶の、小き花に、みだるるよ、みだるるよ。長き憂いは、長き髪に、暗き憂は、暗き髪に、みだるるよ、みだるるよ。いたずらに、吹くは野分(のわき)の、いたずらに、住むか浮世に、白き蝶も、黒き髪も、みだるるよ、みだるるよ。と女はうたい了(おわ)る」と「のわき」のルビが振られている。
    一方で、井上靖記念館のある鳥取県日南町のホームページ《注》のタイトルには「野分けの館」とわざわざ「け」を添えている。また、『四季のことば 辞典』(嶋岡晨著、大和出版)では、野分の項目に「のわき」とルビを振っている。現在出版されている多くの辞典では、大中小を問わず、「のわき」を主見出しにしているが、私の語感では、
          のわき→静的。名詞的
          のわけ→動的。動詞的
という感覚がする。
   
     松尾芭蕉に「吹とばす石は浅間の野分かな」という句がある。暴風の後の浅間山山麓に、溶岩の風化した石や岩が転がっている様を吟じた作品と思われるが、今回の台風12号は風より雨がすさまじかった。驚異的な量の豪雨で「生きた山」を岩盤ごと切り裂き、根こそぎ崩す。その猛威の爪痕は、東日本大震災津波に襲われた東北地方の海岸部の被災地の光景と重なって見えた。静的にしろ、動的にしろ、どこか詩的な響きがする「野分」とはまったく別物だった。

《注》 日南町のホームページのURLはhttp://www.town.nichinan.tottori.jp/p/2/5/3/18/