「ゆきあいの空」

(第241号、通巻261号)
    
    8月から9月へ。季節が移り変わろうとするころになると、その兆しは空の雲にもあらわれる。2週間ほど前の朝日新聞のコラム「天声人語」の一節に「雨のあと、高い天に刷(は)いたような雲が浮けば、夏と秋がすれ違う『ゆきあいの空』となる」とあった。
    
    「ゆきあいの空」。この言葉を、上記のコラムで初めて知った人も多いようだ。ネット上でも「恥ずかしながらこの歳になるまで知らなかった」という年配者や「なんと美しい響きを持った日本語でしょう」という中年とおぼしき女性からの感想などを含め、「素敵な表現」「大好きな言葉」という意見が目についた。日本人の繊細な感性が実によく表れている言葉だ。
    
    「ゆきあい」は、動詞「行き合う」の名詞形の一種と思うが、意外にも小型の国語辞書には収録されていない。岩波書店広辞苑』、三省堂大辞林』、小学館大辞泉』の中型クラスになってようやく出てくる。そのうちの1冊『大辞林』によれば、「1)であうこと。ゆきあうこと。2)夏と秋と、二つの季節にまたがること」を指し、「ゆきあいの空」の子見出しの項で「夏の末、秋の初め頃の空」と語釈を示している。
   
    もう少し詳しく言えば、入道雲や綿雲などの夏の雲と、そのはるか上に巻雲とか、うろこ雲などの秋の雲が天空にたなびき、過ぎゆく夏と来る秋、二つの季節が行き会う空のことだ。現在でこそ、ふだんめったに使われない言葉だが、小学館日本国語大辞典』第2版《注》などを引いてみて、新古今集にも用例があるほど古い、由緒ある日本語だと知らされた。大切にしたい言葉の一つだ。
        
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    私の住む横浜では、昨日8月30日の午前中が「ゆきあいの空」だった。このところなにかと気ぜわしく、自然の秘やかな変化を感じる心のゆとりもなかったが、心地よい涼風を肌に感じふと空を見上げて雲の移ろいに気づいた。天気予報によると大型の台風が接近中というので心配だ。

《注》 同辞典には、「ゆきあいの空」の意味として「牽牛(けんぎゅう)・織女(おりひめ)の二星が相会う空。七夕の夜の空」も挙げられている。また、子見出しとして「ゆきあいの稲」「ゆきあいの兄弟」「ゆきあいの霜」「ゆきあいの谷」「ゆきあいの苗」「ゆきあいの橋」「ゆきあいの間」「ゆきあいの夫婦」「ゆきあいの餅」「ゆきあいの早稲」が掲載されている。いずれも、人間関係の機微や自然の変化に触れた渋い趣きの言葉だ。