「一衣帯水」は「いちい・たいすい」ではないが、しかし… 

(第50号、通巻70号)
    30年近く前、中国の上海と北京に2、3週間出張したことがある。羽田−上海間は、空路でわずか3時間ほど、「一衣帯水」の地を実感したものだ。今は知る人も少なくなった華国鋒主席の時代である。男性はほとんどが青か濃紺の人民服を着ていた。党や行政機関の最高幹部も例外ではなかった。現在の中国の経済、工業、文化の発展ぶりを見ると、まさに隔世の感があるが、「一衣帯水」は、日中友好というと、当時も今も変わらず使われる決まり文句だ。
    「衣帯」とは、衣と帯の意ではなく、衣服の帯、という意味で、「一衣帯水」は一本の帯を引いたような狭い川・海を指し、それから転じて「近接した地域、国」を意味するようになった《注1》。
    この成句、たいていの人は「いちい・たいすい」と真ん中で心持ち切って発音するのではあるまいか。私自身はと言うと、昔の訪中の際に付け焼き刃で目を通した参考書の知識で「いち・いたいすい」と読むのが正しい、と思い込んできた。ところが、それは必ずしも正解、とは言えないことが分かった。

    今回のテーマは、前々回のブログで「綺羅、星の如く」を扱った際の副産物。ある単語、成句をどこで切るべきなのかを下調べしている過程で、「一衣帯水」の読みの区切り方に異説があることを知ったのである。

    中国文学者の駒田信二氏の『漢字読み書きばなし』(文春文庫)によれば、国語辞典でも読み方が次の3通りに分かれるという。
   1)いち・いたいすい=『広辞苑』第2版、『旺文社国語辞典』、『新潮国語辞典』
   2)いちいたい・すい=『広辞林』第5版
   3)いち・いたい・すい=『角川国語辞典』
  上記の説を踏まえたうえで、駒田氏自身は、1)の「いち・いたいすい」が正しい、と断定している。

    ややこしいことに、1)説を採っていた『広辞苑』は、第3版以降は2)の「いちいたい・すい」に変更している。そして現行の他の辞書も、ほとんどが2)の「いちいたい・すい」と、「すい」の前で区切る形を採用しているのだ《注2》。

    同じ辞書でも版を改める際に誤りを直すことは当然だし、語義をより分かりやすくするため記述を変えることも珍しくはないが、単語の構成要素という根本的な部分が、辞書によってこうまで違うとは驚いた。3通りの読み方を知ってみると、個人的には、折衷案的な3)の区切り方が一番自然かな、と思えてきた。

    なぜ、2)が多数派になったのかは分からないが、いずれにしろ、冒頭に記した「いちい・たいすい」という真ん中で切る読み方だけは、どの辞書にも見当たらなかった。

《注1》 原典は、中国の『南史』陳後主紀。

《注2》 『広辞苑』(第3版、4版、5版)、『日本国語大辞典』、『日本語大辞典』、『国語大辞典』、『角川国語中辞典』(本文中で挙げた角川国語辞典とは別種)、『大辞林』、『大辞泉』、『新明解国語辞典』、『現代国語例解辞典』などが2)の「いちいたい・すい」説。   
  私が愛用している『岩波国語辞典』は、語の構成をハイフンや空白、「・」などで区切りを示していないので不明。また、駒田氏が挙げている辞書は、『漢字読み書きばなし』を執筆した当時のもので、私の手元にはないため、内容はすべて確認したわけでないが、中には、その後、版を改め、説を変えた例もある。