「一敗地に塗(まみ)れる」の正しい意味は

(第49号、通巻69号)   
    
    前週の「綺羅星の如く」では、読みの区切り方と意味の違いについて述べたが、今回取り上げる「一敗地に塗(まみ)れる」《注》は、読みの区切り方については、「一敗、地に塗れる」で紛れはあるまい。問題は意味である。

    「一敗」には、一回負けること、の意があるから、「一敗、地に塗れる」を、一回敗れて地に倒れた、というような意味につい取ってしまう。スポーツ、とくに大相撲のニュースでは「横綱を目指す大関○○が初日、早くも一敗、地にまみれた」などとよく用いられる。土俵上に転がされ、砂まみれになる雰囲気もあって単に「一敗した」というより味がある感じさえする。スポーツ以外の分野でも、このような使い方を転用して比喩的に用いることが多い。

    例えば、現在インターネットに掲載されているある有名証券会社の「2009年採用サイト」。人事担当役員からのメッセージ、として「どんな局面でも『やり抜く力』発揮する人材に期待しています」と熱い呼びかけの後、「いかにプロフェッショナルとはいえ、時には一敗地にまみれることもあるでしょう。しかし、それでも、あきらめることなく……」と述べている。この中の「一敗地にまみれる」は、ビジネスでミスする、つまずく、といった程度の意味のつもりで使っているのだろうが、明らかに誤用なのである。
    
    「一敗地にまみれる」とは、『岩波国語辞典』第5版の簡潔な説明を借りれば、「再起不能になるほど大敗する」ことだ。他の国語辞典も大同小異の扱いだが、『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)は例によって詳しく説明している。まず、「二度と立ち上がれないほど、徹底的にうちまかされる」と基本的な語義を示した後、「『地にまみれる』は、戦死者の内臓が大地に散らばって泥まみれになっているという悲惨な光景」と具体的に説明。さらに「完膚(ぷ)なきまでにやられる意なので、僅差での敗北に使うのは誤り」「『血にまみれる』と混同して『一敗血に塗れる』と書くのは誤り」と注意を喚起、実に丁寧に記述している。
    
    従って、「力士が『一敗地にまみれた』ら、横綱を目指すどころか、力士廃業に追い込まれほどの負け方をした、ということになるし、ビジネスマンで言えば、クビになるほどの失敗をした、ということになる。
    
    おそらく、多くの人が間違って使っている言葉だろう、と思う。新聞記事から文化人、作家、文筆家などの有名人まで言葉の誤記・誤用を徹底的に暴き、批判してきた、かの呉智英氏でさえ誤解していたほどなのだから。呉氏は、名著『言葉につける薬』(双葉社)の中であえて「一敗地にまみれたら再起はできない」という1章を設け、「まちがって使っていた」と告白している。私?恥ずかしながら、意味を勘違いしていただけでなく、「一敗血に塗れる」と「地」を「血」と間違えていたことさえあるような気がする。誤った使い方ではあるまいか、という疑問も自覚もなかった。辞書マニアを自称しながら辞典に当たってみようともしなかったとは、我ながらお粗末の極みである。

《注》 原典は、『史記』高祖本紀の「壱敗塗地」。