「お袋の味」の「袋」とは

(第240号、通巻260号)
    
    東日本大地震で家族の絆が見直されたせいか、今年のお盆は例年より帰省客が多かったという。久しぶりの故郷で「お袋の味」に舌鼓をうった人もまた多かったに違いない。ベストセラー『日本人の英語』(岩波新書)の著者、マーク・ピーターセン明治大学教授の『英語で発見した日本の文学』(光文社、2001年刊)を読み返していたら、ピーターセン教授が「お袋の味」という日本語を初めて耳にした時のエピソードが出ていた。
    
    こんな話だ――十数年前、友人といっしょに京王線沿線の小料理屋で、秋田の地酒を飲んでいたとき、この店の漬物が東京でいちばん「お袋の味」に近いと言われた。そのときは、さっぱり意味が分からなかった。問題は「お袋」という表現だった。「お」がつくからには「お茶漬け」と同様、なんらかの食べ物のことをていねいに言っているのだろうと勘違いして「おふくろって、どんなものですか」と訊いて笑われた。「お袋ってのは、my motherのことだよ」という説明で母親の作った漬物の味のことだとは理解できたが、自分の母親を、なぜ「お袋」というのだろうか?と新たな疑問が生じた《注》。
    
    会話でも「お袋の味」という表現はよく使われる。機械的にすぐ思い浮かぶのは、肉ジャガだが、人によっては味噌汁であったり、漬物であったり、粕漬けの焼き魚だったり、とさまざまだろう。ピーターセン教授がいう秋田の地酒の小料理屋の漬物はたぶんイブリガッコだろうと想像するが、それはともかく、なぜ母親のことを「お袋」というのか、教授ならずとも不思議に思う。
    
    この語は、もっぱら成人の男性がくだけた時などに親しい相手に自分の母親を指して使う。しかし、「お母さん」の接頭辞の「お」をつけずに「母さん」ということは多いのに、「お袋」の「お」をはずして単に「袋」と言っても、母親のこととは思わない。バッグのことを指していると解釈するのが普通だろう。
    
    お袋の語源については諸説がある。『日本語源大辞典』(小学館)には、1)母親の子宮を袋にみたてた 2)母親が金銭をしまっておく袋を管理していたから 3)母親が子どもを懐に入れて育てるところから、フトコロが詰まってフクロになった、などの説が挙げられているが、1)の説を妥当としている《注》。いずれの説も「お」は接頭辞とみなしていると考えられる。
    
    この「お袋」から「お袋の味」という表現が生まれたのは、テレビの料理番組からと言われる。お袋という言葉そのものは私自身、比較的新しいものと思いこんでいたが、実は650年以上も前からある古い言葉だと今回初めて知った。
    
    その証拠は『邦訳 日葡辞書(にっぽじしょ)』(岩波書店)である。同書の原典(ポルトガル語版)は、室町時代から安土桃山時代にかけての中世の日本語をイエズス会の宣教師が採録し、解説したものだが、この邦訳版の中の「Fucuro(フクロ)」の項に「母。Vofucuro(オフクロ)の形で、婦人の間で用いられるのが普通であるけれども、それ以外の人々の間でも用いられる」とある。
    
    今と違って主に女性が使う言葉だったという説明には驚いた。念のため『日本国語大辞典』第2版(小学館)にあたってみたところ、さらに新しい知見を得た。「御袋」の項の【語誌】欄に「本来、母親の敬称で、高貴な対象にも使用したが、徐々に待遇価値が下がり、近世後期江戸語では、中流以下による自他の母親の称となった。特に老女や老母を指すこともあった。現在では、さらに待遇価値が下がり、謙称として、他人に対してへりくだって自分の母を言うことが多い」とあった。言葉は時代とともに変わるという例証である。

《注》 ピーターセン教授は、実は上述の著作の中で「(友人たちに語の由来を訊いても、あいまいな答えしか返ってこないので)自分なりに考えてみた。すると『袋』とは『胎』」だ、『子袋』のことではないか、と思い当たったのである」と“正解の”1)説を記しているのである。並の日本人などとうてい及ばない驚嘆すべき国語力だ。

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