太宰治の「月見草」、竹久夢二の「宵待草」

(第130号、通巻150号)
   
    今年は太宰治の生誕100年にあたるというので、太宰治関連の出版や映画、テレビ番組などの企画が相次いでいる。太宰治といえば、『斜陽』『走れメロス』『人間失格』などの作品名と共に思い出されるのが『富嶽百景』の「富士には月見草がよく似合ふ」の名句である。
    
    この月見草については、2年前の当ブログ《注1》で、知人から届いた暑中見舞い状にこと寄せて、「月見草というと、黄色い花を思い浮かべがちだが、黄色いのは月見草ではなく『マツヨイグサ』か『オオマツヨイグサ』といわれる」と1度取り上げたことがある。暑中見舞いには、可憐な白い花の写真が添えられていた《注2》。
    
    太宰が書いた月見草は、開花の時間帯、花の色などから見て「真性の」月見草でないことは多くの人が認めるところだ。
    
    まず、花が咲く時間。『富嶽百景』の中で太宰は月見草を見た時間帯について明確には書いていないが、逗留していた山梨県の御坂峠の茶屋から河口湖畔の郵便局へ留め置きの郵便物を取りに行って引き返す途中、バスの車窓から見た、とある。常識的に考えれば日中だろう。少なくとも夜間ではない。次に花の色。「黄金色の月見草」「金剛力草とでも言ひたいくらゐ」と表現していることからみて、黄以外の色は考えられない。
    
    本来の月見草はしかし、夕刻から開花し、翌朝までにしぼむ《注3》。月を見る花、なのだから咲くのは当然、夜の間である。花の色も黄ではなく白である。朝方にはピンク色をおびてしぼむが。「金剛力草」というような強いイメージはまったくなく、逆にか弱い感じがする。上品と表現した方が適切かもしれない。
   
     俗に月見草と呼ばれているのは、幕末から明治初期にかけて海外から渡来したマツヨイグサ待宵草)かオオマツヨイグサ、あるいはその近縁の種類とされる。花の色は、白ではなく、黄である。繁殖力が強く、国内各地に広まった。本物の月見草も同じ頃渡来したアカバナ科の仲間だが、こちらは環境への適応能力が弱くて野生化することもなく、今では観賞用として丹誠込めて栽培されたもの以外にはめったに見られないという。
    
    植物学者の湯浅浩史氏は『花おりおり』(朝日新聞社)の中で、『富嶽百景』の月見草はマツヨイグサの類と間違えたもの、と断定的に書いている。マツヨイグサも夜に咲くので、若干疑問は残るが、本物の月見草でないことだけは確かだ。しかし、あの名句が、太宰の思いこみによる単純な誤解なのか、あるいは文学的な虚構なのかはっきりしない。
    
    まぎらわしいのは、ヨイマチグサだ。画家であり詩人でもあった竹久夢二が書いた「宵待草」である。「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」。この失恋の詩に哀愁を帯びたメロディーがつけられて発売されると、たちまち全国に広まった。「待草」の名は一世を風靡(ふうび)、普通名詞のようになった。よく注意していただきたい。「待草」とは1文字目と2文字目が入れかわっただけなのである。しかし、宵待草という花は実在しない。
    
    待宵草を月見草とあえて書いた太宰。待宵草を宵待草と表記し、一種の“造語”をした夢二。誤解か意図的かはともかく、2人のそれぞれの表現が多くの人々の琴線に触れたからこそ、今も読まれ、歌われ続けているのだろう。


《注1》 「言語楼」2007年8月8日付け(31号)「『山茶花』は昔『さんさか』と読んでいた」(http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20070808

《注2》 この時の暑中見舞い状は2通あり、もう1枚の方の写真の月見草は淡いピンク色だった。

《注3》 『日本大百科全書』(小学館)。ほかに、ウェブサイト(http://www.shigei.or.jp/herbgarden/tukimisou.htm )の「ツキミソウアカバナ科)」など参照。