「神は細部に宿る」。稀代の名刑事・平塚八兵衛 

(第129号、通巻149号)    
    「ケンカ八兵衛」、「落としの八兵衛」、「捜査の神様」。様々な異名を奉られた稀代の名刑事・平塚八兵衛20日、21日と2夜連続で放映されたテレビ朝日開局50周年記念ドラマ『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』を観て、ディテール(細部)をゆるがせにしない八兵衛の職人芸的仕事師ぶりに感服するところ大だった。
    とくに印象深かったのは、第2夜の吉展ちゃん誘拐殺人事件《注1》でのアリバイ崩しの過程である。東京・台東区入谷の吉展ちゃん(4歳)が行方不明になったのは46年前の1963年(昭和38年)3月31日午後6時ごろ。犯人から身代金50万円を要求する電話が最初にあったのは4月2日午後5時40分。警視庁の捜査本部は重要参考人として福島県石川町出身で東京・南千住に住む時計修理工・小原保を取り調べたが、小原にはこの両日とも‘アリバイ’があった。実家で金策しようと3月27日から福島へ行き、東京に戻ったのは4月3日の昼過ぎ、というのだ。捜査本部の捜査でもアリバイの嘘は見抜けないままだった。
    事件から2年後、捜査本部は解散し、少人数の専従捜査員(FBI)方式に切り替えられた。そこに鬼のデカ長(巡査部長)・平塚八兵衛が投入された。八兵衛は同僚のデカ長と共に福島に出向き、小原の足取りの洗い直し作業を丹念に始めた。小原のアリバイはすでに2年前、捜査本部のデカが裏をとったはずだったが、どんな些細なことも見逃さない八兵衛の徹底的な再捜査の結果、小原の主張にはいくつかのほころびがあることがわかった。例えば――
    1)小原は、福島に行ったものの実家で玄関払いされるのが怖くて3月27日から数日間、実家の土蔵の中や近所の「藁(わら)ぽっち」(藁の束を積み上げたもの)で寝た。土蔵には落とし鍵がかけられていたが、木の枝で開け、土蔵の中で凍(し)み餅を食べた、と主張していた。ところが、八兵衛が洗い直し捜査で訪れた時には土蔵の入り口は落とし鍵ではなかった。不審に思って小原の兄嫁に尋ねると、数年前から南京錠に変えた、という。また、(事件発生の)2年前は、米が不作で凍み餅は作らなかった、とも兄嫁は証言した。
    2)(誘拐事件発生の)3月31日夜は、近所の藁ぽっちで寝た、というのが小原の主張だが、その近所の住人は、火でも付けられたら大ごとなので、明るいうちに焼いて片づけた、と明言。小原が寝たはずの藁ぽっちは、当日はもう存在していなかったわけだ。
    「神は細部に宿る」という有名な言葉がある《注2》。様々に解釈されているが、「神」を「真実(事実)」に置き換えてみると、「あの日は土蔵で寝た」という小原の言葉が「真実」か「嘘」か、八兵衛が実際に土蔵の中に入ってみたからこそ分かったのである。藁ぽっちの焼却処分にしても所有者にジカ当たりして出てきた「事実」だ。
    しかし、小原が3月31日に福島にいなかったからといって犯行のあった東京にいたことにはならない。決定的な場面は、(ドラマでは)吉展ちゃん事件の取り調べが期限切れで終わらざるを得なくなり、取調室で「別れの四方山(よもやま)話」をしている時に突然訪れる。
    吉展ちゃん事件から逃れられたと気のゆるんだ小原が、「こんな悪党でも人のためにいいことをしたこともあるんですよ」と都内の親戚の家のボヤを消し止めたエピソードを自慢げに語り出した。「ボヤと言っても、ぼくが消さなかったら、日暮里の大火事のようになったかもしれない。あの大火事は山手線の電車から見たが、火の手が東京タワーの高さぐらいにまで……」と饒舌に話を続けた。これがアリバイ崩しの決め手になった。
    日暮里の火事があったのは、4月2日、すなわち犯人から吉展ちゃん宅へ最初の脅迫電話があった日である。小原のアリバイ主張では、その日はまだ福島にいたことになっている。言うまでもなく、東京にいなければ日暮里の火事を見ることは不可能だ。
    ここで八兵衛は、4月2日のアリバイの矛盾を一気呵成に攻め立てた。福島で裏取りした1)、2)などの事実についても、矢継ぎ早に小原にぶつけた。小原の母親が土砂降りの雨の中、八兵衛らに土下座して謝った様子も再現して見せた。具体的な事実で「細部」を丹念に積み上げた捜査。それが「蟻の穴」になった。「蟻の穴から堤も崩れる」という。堅固に見えた「堤」(アリバイ)は音をたてて崩れた。小原は、泣きながら吉展ちゃん誘拐殺人事件を全面自供したのである。
    「捜査の神様」とうたわれた平塚八兵衛だけに伝説も多く、またドラマ化にあたっては視聴者に分かりやすいように脚色された部分もあるが、「神は細部に宿る」の言葉を八兵衛が知っていたかどうかは別にして、少なくともその精神を実践で示した稀代のデカだと思う。「ホシ(犯人)を挙げたい。俺は、あんたらのように肩のホシ(星=階級章)を上げたいんじゃないんだ」。捜査会議の席で上司にくってかかる「ケンカ八兵衛」ぶりも小気味よかった。
    しかし、職人芸的捜査から組織捜査へ、刑事の個人的勘を大事にした捜査から科学捜査へと、事件捜査の手法は時代の流れとともに変わりつつあった。
    テレビのドラマでは、スメタナ交響詩モルダウ」の旋律が、聞こえるか聞こえないかのかすかな音量で随所に繰り返し流れていた。いくつもの小さな流れが重なり、大河になっていくように「モルダウ」の演奏がドラマの終盤でひときわ大きくなる。八兵衛が退官後、後輩から贈られたチケットで(実際にあったかどうかはともかく)糟糠の妻と一緒にコンサートに行き音楽を聴いている場面だ。余韻が残る演出だった。


《注1》 工務店経営者の長男・吉展ちゃんが自宅近くの公園で行方不明になる。2日後に身代金要求の電話があったが、小原の自供で誘拐直後に吉展ちゃんを絞め殺していたことがわかった。遺体は、自宅近くの寺の墓地で見つかった。行方不明になってから2年3カ月後だった。当時、戦後最大の誘拐事件と言われ、報道協定や声紋鑑定、FBI方式の捜査のはしりともなった。小原は1971年(昭和46年)死刑を執行された。
《注2》 英語では‘God is in the details’というが、出典は明らかでない。一般的には、ドイツの建築家、ミース・ファン・デル・ローエが広めたとされているが、ドイツの美術史家、アビ・バールブルグも好んで使っていたともいう。あるいは、フランスの作家、グスターブ・フローベルやイギリスの社会思想家、ジョン・ラスキンという説からユダヤ教の古い言葉という話まである。
《参考》 今回のブログは、本筋はテレビ朝日のドラマに依ったが、補足的にはウェブサイト「無限回廊」(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/m.htm)やWikipediaも参考にした。