梅雨と五月晴れ

(第128号、通巻148号)
    梅雨(つゆ)のない北海道を除く日本列島全域が今月11日までに梅雨入りした。梅雨には異名が多い。その語源もさまざまだ《注1》。『奥の細道』(松尾芭蕉)の「五月雨を あつめて早し 最上川」の中の「五月雨(さみだれ)」は最も知られた異名だろう。
    芭蕉のこの句は、急流で知られる最上川が梅雨時としては珍しいほど急激に増水した状況を詠ったものだが、一般的には、五月雨は、一時にどっと降る大雨や豪雨ではない。『日本国語大辞典』第2版(小学館)によれば、陰暦(旧暦)5月頃の梅雨時に降りつづく長雨を言う。さらに同辞典は「(‘さみだれ’が少しずつ繰り返し降ることから)継続しないで、繰り返す行動などについていう」として「さみだれスト」を用例に出している。
    五月雨と対の言葉で「五月(さつき)晴れ」という言葉がある。ほとんどの人は、5月のさわやかな風に鯉のぼりが舞う、澄みわたった青空を思い浮かべるにちがいない。文字通り5月の空である。梅雨のイメージが強い6月の空ではない。五月晴れの意味としては、実は、半分は当たっており、半分は間違っている、とも言える。
    ここで気に止めておいていただきたいのは、「陰暦5月」という点である。どういうことかというと、陰暦の5月は、おおざっぱに言えば「新暦6月」にあたることだ。五月晴れ、というのは、梅雨の合間の、言い換えれば長雨の続く6月中に珍しく晴れた空を指しているのである。では、ふだん我々が5月の空を言い表すのに使っている「五月晴れ」の表現は誤用なのだろうか。ここは辞書を見るのに限る。
    どの国語辞典も「五月晴れ」の項には「梅雨時(さみだれ)の晴れ間」と「5月の晴れわたった空」の2通りの語釈を示している。ただ、陰暦、新暦のことに触れておらず、しかも、どちらの語義が本来の用法なのかまで言及している辞書はまれだ。帯に短し、たすきに長しの感があるが、本来の用法は「(陰暦)5月の梅雨時の晴れ間」を指す《注2》。つまり、新暦で言えば、6月のこの季節の晴れ間をいうのである。
    以上をまとめると、五月晴れ、というのは元来は、陰暦の5月が梅雨にあたるところから梅雨の晴れ間を指していたが、近代になって(おそらくは昭和の初めごろから)、誤って新暦の5月の晴天を意味するようになり、これが定着した、と考えられる。気象庁のホームページの中の「予報用語」(http://www.jma.go.jp/jma/index.html)でも、五月晴れについて、「5月の晴天のことだが、本来は陰暦の5月(さつき)からきたことばで、梅雨の合間の晴れのことを指していた」と注記している。『NHKことばのハンドブック』もまったく同様の記述だ。
    言ってみれば、単に陰暦と新暦の関係(陰暦の5月≒新暦の6月)を無視・混同してきたわけだ。知っているやさしい言葉でも、辞書を引いてみると思わぬ発見があるものである


《注1》 『日本語源大辞典』(小学館)などによれば、まず「梅雨」については、「黴(カビ)」のはえやすい時季の雨という意味から中国では「黴雨(ばいう)」と呼ばれていたが、「カビ」では語感が悪いとして同音の「梅」の字を転用し「梅雨」になった、という説もあれば、「梅の実が黄色く色づく頃の雨」という意味で名付けられたという説もある。
   「さみだれ」については、「さ」は「さつき(五月)」、「みだれ」は雨が降る意の「みだる」(水垂)の名詞形からきているという説や、田に早苗を植える時季なので「早苗月」といっていたのが略されたとかの諸説があり、はっきりしない。また、「さつき」は競馬の「皐月賞」でも知られるように「皐月」とも書く。
《注2》 『現代国語例解辞典』第4版(小学館)では、「1)梅雨前の5月のさわやかに晴れわたった天気、2)五月雨の晴れ間」との説明のあとに「本来は2)の意」と明確に述べている。