「七変化」の紫陽花、花言葉も「七変化」 

(第127号、通巻147号)
    紫陽花(あじさい)は、前回のブログで書いたように日本原産の植物である。にもかかわらず、「紫陽花」という別の花(ライラック?)の漢名が誤解されたまま日本で「あじさい」として用いられるようになったわけだが、それ以前「あじさい」はどう表記されていたのだろうか。奈良時代に編まれた『万葉集』にあじさいを詠んだ作品が2首ある《注》。
    まず、万葉集の編者の一人ともされる大伴家持(おおとものやかもち)の歌。「言問はぬ木すら味狭藍 諸弟らが 練りの村戸に 詐かへけり」巻四 773(物を言わない木にさえも、あじさいの色のように移ろいやすいものがあります。ましてや、手練手管に長けた諸弟の言うことに私はやすやすと騙されてしまいました)。
    もう1首は橘諸兄(たちばなのもろえ)の作である。「安治佐為の 八重咲く如く弥つ代にを いませわが背子 見つつ偲はぬ」巻二十 4448(あじさいの花が八重に咲くように、何代にもわたってお健やかでいてください。花を眺めるたび、あなたを偲びましょう)。
    万葉仮名で「味狭藍」と「安治佐為」。万葉集以外では「集真藍」という表記も見られる。『日本国語大辞典』第2版(小学館)などによると、「あじ(あぢ)」は「あつ」で「集まること」、「さい」は「真藍(さあい)」の略で、青い花がかたまって咲くことから名付けられたと思われる、という。ほかにも、語源として「群れて咲く」「厚く咲く」などの説もあるが、共通しているのは、「青い(藍色の)花」という点である。
    意外なことに、紫陽花は万葉集以後は平安時代末期までの長い間、文学作品に登場しなかったようだ。おそらくは、大伴家持が詠んだように花の色が変わる、つまり「移ろいやすい」点が敬遠されたのだろう。しかし、江戸時代、ヨーロッパなど海外に渡ると色変わりが珍しがられ、様々に品種改良が行われた。
    紫陽花の色は、一般的に土壌のpH(水素イオン濃度)によって変わるとされている。酸性なら青、アルカリ性なら赤っぽくなる、と。しかし、酸性の土壌でも青色にならなかったり、あるいは、咲き始めは青かった花が少しずつ赤みを増し、咲き終わりの頃になると赤紫になったりする種類もある。必ずしも酸性度だけで色が決まるとは言い切れないようだが、色が次々と変わることから「七変化」の異名も生まれた。
    紫陽花には花言葉が、薔薇ほどではないがずいぶん多いが、「七変化」を人がいかに見るか、どう感じるかで花言葉も変わる。「移り気」「人を欺く」と受け取られるせいか、たいていはマイナスイメージだ。いわく「変節」「高慢」「冷酷」……。一方で、「辛抱」「謙虚」「一家団欒」などのようにプラスイメージの言葉もある。花言葉もまた「七変化」である。


《注》 ウェブサイト「バージニア大学 万葉集電子テキスト」(http://etext.lib.virginia.edu/japanese/manyoshu/AnoMany.html)など参照
《お断り》 万葉集から引用した歌の現代語訳は、2首とも諸説を参考にした素人の‘私訳’にすぎない。実は「諸弟」という語一つとってみても、使者の名前を指すのか占い師の名前名前なのか、はっきりしない。「村戸」についても、「むらへ」と読んで占いをする家(戸)の意味なのか、あるいは「むらと」と読み「一群の言葉」の意味とする説などがある。今回のブログの主眼は、歌の解釈ではなく、「あじさい」を万葉仮名でどう表記したか、という点にある。