「六日の菖蒲、十日の菊」

(第276号、通巻296号)

    30代の始めのころ、転勤後3カ月も経ってから暑中見舞いを兼ねて友人や知人、先輩にハガキで簡単な挨拶状を出したことがある。この種の挨拶状に返信をいただくことはあまりないが、そのときは、親しい先輩の1人からすぐに返信があった。「新天地での活躍を祈る」という定型の言葉の後に「挨拶状は転勤してすぐ出さないと『六日の菖蒲、十日の菊』と言われるよ」と記されていた。

    先輩の添え書きは「遅れた挨拶状は失礼になる」という忠告の意と察しはしたが、もともと植物に疎く社会常識にも欠ける身なので、それをなぜ「六日の菖蒲(アヤメ)」と言うのか当時は分からなかった《注》。ヒントは、菖蒲の読み方にあった。「菖蒲」という漢字は「ショウブ」とも読み、「尚武」に通じる。5月5日の端午の節句は「尚武の節句」ともいう。

    ショウブは、サトイモ科。葉はアヤメ(アヤメ科)と似ているが、花の形、色はまったく別。しっとりとした紫色とは違い、蒲(ガマ)の穂のような黄色だ。しかし、香気が強いので古来、邪気を払うとされ、魔除けとして季節の行事や儀式に用いられてきた。現在でも、「菖蒲湯」の風習が残っている。男の子の健やかな成長を祝う5月5日の節句に欠かせぬものだ。菊は、9月9日の「重陽(ちょうよう)の節句」に欠かせない。菊に長寿を祈る日で「菊の節句」ともいう。

    片や5月5日、片や9月9日。二つの節句の代名詞とも言える存在が菖蒲であり、菊なのである。その日にそれぞれの花を飾ることが大事な行事なのに、1日遅れて「6日」になったり、「10日」になっては意味を成さない。『新明解国語辞典』第7版(三省堂)の説明を拝借すると、せっかく用意しても肝腎の時機に遅れて役に立たないもののたとえ、に使われる成句だ。しいて似た意味の表現を挙げれば、「証文の出し遅れ」か。

    当ブログは毎週水曜日の未明に発信することにしているが、今号のブログを書いているのは、5月2日の水曜日。1週間後だと「菖蒲の節句」を過ぎてしまい、「六日の菖蒲、十日の菊」になるので、大急ぎで仕上げた。いつもに輪をかけて雑になったが、お許しを。関連の話題は次号以降も取り上げたい。


《注》 『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)には、「このアヤメはサトイモ科のショウブ(菖蒲)の古名だが、『六日の菖蒲(しょうぶ)』とするのは誤り」とあり、なんともややこしい。