いずれアヤメかカキツバタ
(第277号、通巻297号)
「アヤメ」とくれば、「いずれ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)」《注1》という成句が思い浮かぶ。アヤメは前号で取り上げた時に百科事典などで少々調べたので、ある程度は分かる。カキツバタ《注2》についてはよく知らなかったが、標題のような成句からアヤメに似ている花、とは見当がつく。
例によって植物事典、国語辞典に加えてネット検索も駆使して調べてみた結果、どちらも植物学的にはアヤメ科アヤメ属。花の色も紫が多い。だから似ているのも当然なのだが、
1) アヤメ ・畑のような乾燥地に咲く
・丈が30〜60センチと低い
・花は小さい
・花弁の元に網目状の模様がある
・咲く時季は5月中旬〜下旬
2) カキツバタ ・水辺に咲く
・丈は50〜70センチ。アヤメよりは少し高い
・花はアヤメよりは大きい中輪
・花弁の元に白い目型の模様がある
・咲くのは5月中旬
と細かく見れば違いがあるにしても、普通は区別がつけにくい。
そこで、「いずれ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)」という言い回しが生まれた。よく似ていて区別がつけがたい(ア)、というわけだ。もう一つの意味として、どちらも甲乙つけがたいほど美しい女性(イ)、という表現も使われる。
どちらが本義なのか。実は、辞書によってもまちまちなのである。例えば『新明解国語辞典』第7版(三省堂)は、(ア)の意味を最初に出し、ついで(イ)の意味を併記している。ところが、『岩波国語辞典』(第7版)は「優劣のつけ難い美女が多く並ぶことのたとえ」と(イ)の意味のみを示し(ア)についてはまったく触れていない。
国語学には素人の辞書マニアの1人としては、(ア)→(イ)と転義したのではないか、と思っていたが、あるウェブサイトで「源頼政が崇徳上皇に菖蒲前(あやめのまえ)を賜るとき、同じような美女を何人も並べた中からえらぶように命じられて選びかねて詠んだ歌の故事がある」との記述を見つけた。
『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)も同じエピソードに基づく語源説を述べている。となれば、(イ)→(ア)が本筋なのかもしれない。いずれにしろ、単に似ていて区別しにくい、だけでなく、美しい、優れている、というプラスイージを前提にしていることは共通している。どれも似たようなもので区別がつかない、という意味の成句としては「団栗(どんぐり)の背比べ」があるが、これは特にすぐれたものがない、というマイナスイメージの言葉だ。
《注1》 辞書によっては、「いずれが菖蒲(あやめ)か杜若(カキツバタ)」と「いずれ」の後に「が」をつけている例もある。あるいは「いずれを」としている辞書もあるという。
《注2》 カキツバタは漢字で「杜若」と書くので、『新潮日本語漢字辞典』によれば、「とじゃく」とも読む。また「燕子花」という書き方もある、として島崎藤村の『市井にありて』から「お前には、燕子花のやうななまめかしさもなく、罌粟(けし)のやうな甘さもない」という文例を紹介している。