「到来物」…。向田邦子に見る懐かしい日本語

(第246号、通巻266号)
    
    9月21日号のブログで向田邦子の作品を取り上げ、「人気」という2文字の読み方は4通りもある、と自説を披瀝したが、それを題材したのはそもそも彼女の巧みな言葉遣いを紹介することにあった。今ではあまり使われなくなった言葉、あるいは死語同然の、しかし懐かしい匂いの残る美しい言葉。語彙が豊富で用い方に実に味があった。

    向田邦子は元々は脚本家だが、彼女が初めてエッセー『父の詫び状』(文藝春秋)を出した時は、辛口をもってなる山本夏彦をして「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」と絶賛させたほどの作家でもある。文章の巧さは言うまでもないが、その文章の小道具になっているのがちょっぴり古めかしい日本語なのである。そんな言葉を『父の詫び状』から二、三紹介してみよう。書き出しからしてこうだ。
    ――つい先だっての夜更けに伊勢海老一匹の到来物があった。(1行略)友人からの使いが、いま伊豆から車で参りましたと竹籠に入った伊勢海老を三和土(たたき)に置いたのである――
    
    「到来物」。どの辞書の語釈も似たようなもので、たとえば『広辞苑』には「他から贈ってきたもの。よそからのもらい物。いただきもの。ちょうだいもの」とある。ただ、これでは、この言葉の持つニュアンスが分からない。そこで『日本語 語感の辞典』(岩波書店、中村明著)をひもとくと「よそから贈られた物の意で、改まった会話などに用いられる表現」と語義を述べた上で「『頂き物』に比べ、与え手に対する待遇の意識は希薄で、それだけ客観的な感じの表現」と説明している。
    
    私には、なるほどと思われる解説だが、人によって受け止め方は微妙に違うようだ。『続 懐かしい日本の言葉 ミニ辞典』(宣伝会議藤岡和賀夫著)には「『到来』は、ある時期がやってくると、他人から物が届くこと。遠くからこちらに来るうれしい気分がある」と前置きして「客に『到来物ですが』と言って茶菓を出すのは、頂戴物というときのイヤ味を避ける点と、わざわざ買ったものではないが、と控え目を表す点で、とても品のいい言葉の選択だ」とある。
    
    「到来物」は今でも使う人がいるが、「三和土」はめったに耳にしなくなった。そもそも、若い世代でこの漢字を「たたき」と読める人は珍しいのではないか。玄関の土間のことだ。『明鏡国語辞典』(大修館書店)には、コンクリートで固めた土間の意とある。それならマンションの玄関にもあると言えるが、私のイメージでは農家の玄関と上がり框(かまち)の間にある、石灰などで塗り固めた広い土間が思い浮かぶ。
   
     上述の2語は、「向田邦子ワード」のほんの一例にすぎない。彼女がごく自然体で使っていた懐かしい日本語は、「たしなみ」「今日び」「ご不浄」「起き臥し」「誂え(あつらえ)」「分限者(ぶげんしゃ)」……など数多い。折をみてまた話題にしたい。