「右」「左」を「東」「西」で表現する言語

(第204号、通巻224号)
    世界には、数千種類の言語があるといわれる。語彙も文法もさまざまだ。語彙を例にとれば、イヌイットの言葉には、雪を表す語がいくつもある《注1》。日本語だと雨の種類を示す語が多い。時雨(しぐれ)、五月雨(さみだれ)、梅雨(つゆ)……など多彩だ。しかし、雨の細かい種類、降る時期や様相まで区分するかどうかはともかくとして「雨」という基本語は、どの言語にもあると思われる。「親」「子」とか、「太陽」「星」とか、あるいは抽象的な「前」「後」「右」「左」などの基本的な単語はどの言語も持っている――そう思い込んでいた。
    ところが、1カ月余前に刊行された岩波新書『ことばと思考』(今井むつみ著)を読んで自分の「勝手読み」を思い知らされた。諸言語の中には「右」「左」や「前」「後」を直接示す語を持っていない言語が数多く存在するというのである。モノとモノとの相対的な位置関係を表せないのでは、日常生活を送る上で不便この上ないはずだ。厳密に言えば、「右」「左」に代わる語があるのだ。
    同書によれば、オーストラリアのアポリジニーの言語のひとつ、グーグ・イミディル語は、モノの位置をすべて「東」「西」「南」「北」で表す。たとえば、「リモコンはテレビの右にある」と言うとき、この言語の話し手は「リモコンはテレビの東にある」と言うわけだ。「そもそもこの言語では、話者を中心とした相対的な視点でモノの位置関係を表すということをまったくしないそうである」と、著者は述べている。
    右や左、方位といえば、日本や英語の辞書は、相対的な位置関係を説明するのに東西南北を使うのが定番だ。過去に当ブログでも辞書の個性などのタイトルで2、3回取り上げたことがあるが、ダブり承知で紹介しよう。日本の近代的な国語辞典の祖とされる『言海』(明治37年2月25日発行、大槻文彦著)は「右」の語釈として「人ノ身ノ南ヘ向ヒテ西ノ方、左ノ反(ウラ)」としている。
    現代の辞書では、方角を借りずに「右」を説明する例が増えたが、それでも、『ベネッセ表現読解国語辞典』はもっとも古典的な「北を向いたとき、東にあたる側」と説明している。辞書によっては日本でも英米でも「西を向いたとき……」「東を……」としているのがある。たとえば、規範意識が高く奇をてらうことのない『岩波国語辞典』では、「相対的な位置の一つ。東を向いた時、南の方、またこの辞典を開いて読む時、偶数ページのある側を言う」と説明している。後段はさりげなく工夫した独自の語釈といえるが、前段は先行辞書の語義を単に小手先だけ変えたに過ぎない。    
    それにしても、グーグ・イミディル語を話す人々が、磁石も持たずにどこにいても方角が分かるというのは不思議だが、『ことばと思考』に紹介されているフィールドワークの結果によれば、彼らは狩猟民族で日常的に非常に遠くまで獲物を追いかける生活をしているせいか、100キロ離れた所にからでも自分の家の方角を正確に指さすことができるという《注2》。
    音楽の分野で「絶対音感」という言葉がある。音の高低を楽器などの機器を使わずに正確に聞き分ける能力のある人に使われる。そのデンで言うと、グーグ・イミディル語の話者は「絶対方位感覚」の持ち主である《注2》。
    

《注1》 『言語・思考・現実』(講談社学術文庫、B・L・ウォーフ著)
《注2》 方位感覚が優れているのは狩猟民族に限られているわけではないようで、岩波新書『ことばと思考』ではメキシコ先住民の農耕民族というテネパパ族の実験例も紹介されている。