「黄色い」花嫁、「オレンジ色」の車……

(第205号、通巻225号)
    前回は『ことばと思考』(今井むつみ著、岩波新書)から右、左などの位置関係を「絶対方位感覚」で示す言語の例を紹介したが、同書の中には、色の表現が言語によってかくも違うものかを解説した『日本語と外国語』(鈴木孝夫著、岩波新書)からの興味深い引用がある。名著として知られる同書がたまたま手元にあるので、今回は色と言葉との関係について私自身の体験も交えて少し述べてみたい。
    「オレンジ」というと、具体的にどんな色を思い浮かべるだろうか。英語の“orange”という語から果物としての蜜柑(みかん)、橙(だいだい)を連想するに違いない。色でいえば、黄色を少し濃くしたような「だいだい色」だ。けれども、鈴木孝夫氏がかつて米国に滞在中、オレンジ色のレンタカーを指定されて初めて知ったのは、“orange”色とは、日本人の感覚でいう「茶色」だったことだという。同新書の口絵に添えられた、その車の色見本を見ると、明るい薄茶色という感じだ。
    鈴木氏はまた、フランス語では我々が「茶封筒」というものを「黄色の封筒」と言うそうだ。一般的には「黄色」の訳語が与えられている“jaune”《注1》というフランス語は実は「茶色」まで含めた幅広い範囲の色まで意味するわけだ。それを知らずに“jaune”とあれば、何でもかんでも「黄色」と翻訳している小説もあるので、「黄色い靴」とか「黄色いジャガイモ」とかしっくりこない日本語もまま見られる、という。
    黄色と言えば、私にもこんな経験がある。数年前、京都で1週間余にわたって「世界合唱シンポジウム」という国際的なコーラスの祭典が開かれた。この一大イベントに広報担当のボランティアとして関わっていた私は、大会の公式言語の英語から日本語に翻訳されたプログラムの中身を点検中、ある日のコンサートの曲名を目にして違和感を覚えた。
    「黄色い花嫁」。トルコの合唱団が歌う予定のこの曲は隣国・アゼルバイジャンフォークソングだというが、曲名が解せない。黄色い肌をした花嫁、ひょっとして日本人の花嫁という意味なのか、あるいは衣装の色を指しているのか。
    トルコの合唱団がシンポジウム事務局に提出していた英文の資料を見ると、確かに“Yellow Bride”とある。字句通り日本語に移し替えれば「黄色い花嫁」となる。常識的な訳に見えるが、「黄色い」と「花嫁」という二つの単語の結びつきが妙だ。それに、黄色人種の身としてはどこか差別語的な感じも拭いきれない。どうしても気になるので、インターネットでアゼルバイジャンの関連サイトを検索し、E-mailで問い合わせてみた。
    返事はすぐに来た。しかもサイトの管理者本人から直々だった。それによると、原題は“Sari Galin”《注2》、英語訳の“yellow”は「黄色またはブロンドの髪」の意味だという《注3》。“yellow”が髪の色を指すとは思い及ばなかったが、ともかく「金髪の花嫁」という題名なら納得がいく。この歌はもともとアゼルバイジャンの山村地帯に伝わるフォークソングで、その一帯には金髪の人びとがいる、という親切な説明も書き添えられていた。
    サイトの管理者は、米国のカリフォルニアに住みながら“Azerbaijan International”という英文雑誌の編集長をしている女性だった。その後のメールのやりとりを通して、英語に堪能なのはもちろんアゼルバイジャンの文化に誇りを持っている知識人とうかがえた。
     “yellow”、必ずしも「黄色」とは限らないと同様に、金髪といえば“blonde”と機械的に当てはめるのも短絡的――我が身にも覚えがある。それはまた次回に。

  
《注1》 『クラウン仏和辞典』第2版(三省堂
《注2》 “Sari Gelin”との表記もある。
《注3》 私が目を通した何種類かの英和辞典は、“yellow”の語義として「黄色(い)」しか挙げていないが、英英辞典はもっと幅広い色を示している。たとえば、ケンブリッジ英英辞典には、「レモンとか金(きん)とか太陽のような色」と説明している。これだと、金髪の意味にもなる、ということがわかる。
【お断り】 今回の記事のうち“Yellow Bride”の記述は、gooブログ時代の2006年8月1日付けに載せたものを一部書き換えて転用しました。