「障害者」は「障碍者」とすべきか「障がい者」でもいいか

(第200号、通巻220号)
    災害時や緊急を要する事故などの場合、独力で脱出できない人を地域の連帯で手助けしよう――私の住む団地でも遅ればせながら「要援護者」問題に取り組み始めた。その打ち合わせ会議が先頃開かれた際、自治会の担当部門が行政当局の指導に則って作成した文案の中の「障害者(児)」という表現に異論が出され、「害」の字を平仮名の「がい」に改めることになった。
    
    防災関係の会議の場であり、言葉をテーマにした会議でもなかったので、この書き換えそのものについては特段の議論もなく、すんなり「障がい者(児)」になった。しかし、用字用語と福祉の関連分野の関係者の間では、実は深い意味が秘められている問題なのである。私自身は、数年前に知ったばかりなのだが、本来、この語は「障者」と書くのが正しい。読み方は、「障害者」と同じく「しょうがいしゃ」。
    
    実際、戦前までは「障碍」が「障害」と共に一般に使われていたという。戦後、GHQ(連合国総司令部)の漢字制限政策で「碍」の字が、当用漢字(常用漢字の前身)からはずされたため、新聞・雑誌ではもっぱら「害」を使うようになった。ところが、害という字は、「害毒」「災害」「弊害」など見た目にもマイナスイメージが強いとして福祉関係者を中心に「障害者」の表記はやめてほしい、との声が強まってきた。常用漢字が年内にも改定されることをにらみ、「碍」を常用漢字に加えるべき、という考えからだ。
    
    その過渡的な措置なのか、最近では自治体の中で「障がい者」と交ぜ書き表記する所が増えてきた。国の関係法規は「身体障害者福祉法」などとまだ「障害」のままだが、政府レベルの会議で鳩山政権時代に「障がい者制度改革推進会議」という名称も登場した《注1》。
    
    本当は、「害」よりは中立的な感じがする「碍」を使いたいところなのに、常用漢字にないため、やむなく交ぜ書きにしたのだろう。
    
    では、碍はそもそもどんな意味を持つ言葉なのだろう。私の乏しい知識で知っている「碍」としては、送電線の電柱などに絶縁のため取り付けられている陶磁器製の「子」(がいし)か「融通無」(ゆうずうむげ)ぐらいしか思い浮かばない。
    
    碍は、実は「」から派生した俗字だという。『字通』(白川静著、平凡社)には、本字の「礙」について「声符の疑は顧みて立ちどまり、凝止する形。石などにさえぎられて、進みえないことをいう。 さまたげる、さえぎる」の意とある。また、『日本国語大辞典』第2版(小学館)の「障碍」《注2》によれば、ものごとの発生、持続などにあたってさまたげになること、転じて悪魔、怨霊などがじゃますること、というのが語義としている。
    
    否定的な意味合いは「害」よりは弱いにしても、個人的には「害」も「碍」もそれほど大きな違いは感じられない。ただ、福祉関係者が「碍」への思いからその復活を強く望んでいるのであれば、「障碍」と「障害」を併用すればいいのではあるまいか。しかし、中途半端に「障がい者」と交ぜ書きにするのはまやかしだ。どうせやるなら「障碍者」とすっきりさせる。読みにくいというなら、ルビをつければよいと思う。


《注1》 東京新聞2010年3月22日(ウェブ版)
《注2》 この場合は、古い読み方で「しょうげ」と言う。