「杜」と「森」の違い

(第199号、通巻219号)
    今回は、3週間前の196号のブログで「森」と「林」を取りあげた際に宿題としていた「杜」について述べてみたい。
    「杜」と「森」の違いは、普通の国語辞書でははっきりしない。と言うより同じ言葉として扱っている。岩波書店の『広辞苑』にしても三省堂の『大辞林』にしても、あるいは小学館の『大辞泉』にしても同様だ。三冊の中型国語辞典の代表として『広辞苑』の記述を例に挙げる。
  ――もり【森・杜】1)樹木が茂り立つ所。2)特に神社のある地の木立。神の降下してくるところ。3)(東北地方で)丘。
    異体字とか当て字とか略字とかの注があるわけでない。1)の意では「森」、2)の意では「杜」を使うのが普通、などという解説があるわけでもない。見出しの項目としては森と杜は完全な“同字”扱いだ。まじめに辞書に当たってみた利用者は戸惑ってしまう。言葉の用法への配慮が足りないのが日本の国語辞典の大きな欠陥である。
    ユニークな語釈で知られる『新明解国語辞典』(三省堂)では、見出しは「もり【森】」とだけにしているものの、語釈の最後の「表記」の欄に「杜、とも書く」と書いている。「森」と「杜」を区別していない点では、上述の中型辞典と実質的に大同小異だ。
    字体が似ているならともかく、見た目からして全く違う。辞書の扱いを素直に応用するなら、たとえば「森林」を「杜林」と書いても「森閑として」を「杜閑として」と書いてもいいことになる。まぁ、しかし、常識ある人なら「杜」は実際には「杜の都・仙台」とか、「早稲田の杜」とか、「鎮守の杜」とか、定型的に使われると心得ているはずだ。
    漢字のことは漢字辞典に訊け。そこで『新潮日本語漢字辞典』で「杜」の字を引いてみた。見出しの下にある読みの欄で字音を「ト、ズ(ヅ)」(づ)」、字訓を「もり」とした上、本文冒頭で「神社の周りの木の茂った神域」と語義を明示。さらに「解字」の欄で「ふさぐ、とじるの意となり、国語では、もり、やしろの意に用いる」とある。
    神社は、周りとは違う場所、その門を「とざし」、周りから絶された所《注1》とされる。そこから神社の木立を「杜」と表現するようになったとも考えられる。
    異説もある。『全訳 漢辞海』(三省堂)の「杜」の見出しの項には「日本語用法」の欄を設け、次のように説明している。――「もり」は神の来臨する所と考えられて、「神社」「社」とも表記された。この「社」を誤って「杜」に「もり」の訓読みが生じた。平安以降の用法、というのだ。
    いずれにしても、「杜」という字に神域の意が込められているという点では共通しているがしかし、「早稲田の杜」「杜の都・仙台」の場合は、様相が違う。仙台市のホームページによると、もともと緑の多い街の仙台は「森の都」と称していたが、第二次世界大戦後間もないころから「杜」の字を当てて書き表すようになったという。仙台の街路樹の多くが人工林というところから人工の森という意味を表すために「杜」が使われるようになったのではないか、という説もあるが、「杜」に人工的との意があるわけでもなく、確証とは言えない。
    また、「杜」という文字に詩的な雰囲気を感じる向きもある。しかし、語の成り立ちには詩性はない。そもそも、漢字の本場の中国では「杜」という字は、バラ科の落葉高木のヤマナシとか木の根を指し、「森」という意味はまったくないのである《注2》。


《注1》 「途絶」は、『明鏡国語辞典』によれば「杜絶」の代用表記。
《注2》 動詞としては「とざす、ふさぐ、とじる」の意で用いられる。