「目に青葉…」ではなく、正しくは「目には青葉…」とは

(第173号、通巻193号)
    三寒四温どころか一日ごとに気温が乱高下、桜の花びらの上に雪が積もるような異常な春だったが、気がつけばいつの間にか青葉が目にしみる季節になっていた。青葉、とくれば反射的に連想するのが「目に青葉 山ほととぎす 初がつお」という句だ。ただし、これは正確ではない。これまでずっと、一文字抜かして間違ったまま覚えていたのである。正しくは「目に青葉 山ほととぎす 初がつお」(江戸時代の俳人・山口素堂の作)。本来は「目に」の後に「は」が入るということを最近になって知った《注1》。
    俳句をたしなむ人はもちろんのこと、ちょっと教養のある人には常識だろうが、この句は俳句の憲法ともいうべき約束事を破っている。「三段切れ」になっているのも珍しいが、問題なのは季重なりだ。季語が三つも使われている。私は中学時代の国語の宿題で、「台風」「サンマ船」と季語を二つ入れた俳句を作り、先生に厳しく叱られた思い出があるが、素堂は二つどころか、なんと夏の季語を三つも重ねている。その上、字余りの「憲法違反」を犯しているのである。
    俳句の、もっとも俳句たる所以(ゆえん)は、音数律が定型の五・七・五と続くリズムにある。七五調は、日本人には口にしやすく、耳で聞いても心地よい。「花は桜木、人は武士」とか「飛び出すな 車は急に 止まれない」とか、よく引用される句や標語はたいてい七五調を踏まえている。しかし「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」となれば、六・七・五と字余りになり、口調も良くない《注2》。
    素堂はもちろんあえてそうしたのだろう。助詞の「は」には「対比」の用法がある。『明鏡国語辞典』(大修館書店)には「同類の事柄が話題としてとりたてられること前提にして、それと対比的な事柄を示す」という説明がある。「目には青葉、耳には山ほとぎす、口(舌)には初がつお」と言う代わりに冒頭の言葉にだけ「は」をつけて「には」とし、残りはこれにならわせようとした考えからに違いない。「青葉」は視覚、「山ほととぎす」は聴覚、「初がつお」は味覚。この初夏の感覚を浮き彫りにして爽やかな季節感を表現したのである。
    民俗学にも造詣の深かった文芸評論家の山本健吉著『ことばの歳時記』(文春文庫)の記述を参考にして言うと、戦後間もない頃の鎌倉、大磯、小田原などの湘南の沖合には、晩春から初夏にかけて「海に写る山の緑を慕って」魚が黒潮にのって集まった。最大の贈り物は鰹だった。「かつお」は「勝魚」に通じ、江戸時代には縁起のよいものとされていた。
    その中でも初鰹は、かつて江戸っ子が、女房と娘を質(しち)に入れても食べたいものだ、と言うほどの人気だった。初物を食べると寿命が75日伸びるという話もあった。「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」はそんな時代の庶民の生活を活写した名句だ。主題は当然「初がつお」に変わりはないが、私には「この句のほんとうの季語は、青葉でもほととぎすでも初がつおでもなくて『季節感』なのだ」という江國滋の説明が味わい深い《注3》。


《注1》 作者の山口素堂は松尾芭蕉とも親交が深かった俳人である。この「目には青葉…」の句は、出典によって「…」の部分の表記が「山ほととぎす 初がつほ」、「山ほとゝぎす 初鰹」、「初がつを」、「初松魚」など様々あるが、本ブログでは分かりやすいように「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」とした。
《注2》 5月にはいると雑誌や新聞、随筆などに素堂の句がしばしば引用されるが、私と同じく「目に青葉…」と間違えている例が少なくない。それも「は」抜きの五音の方が語呂がよいからだ。五・七・五の俳句に対して都々逸は七・七・七・五が基本。「咲いた桜に なぜ駒つなぐ 駒が騒げば 花が散る」はその一例。
《注3》 『俳句とあそぶ法』(朝日新聞社)。この本で著者は、「季重なりもいいところだが、(中略)こういう手法は商売人(俳句の専門家)の手口であって、アマチュアがまねするものではない」と釘をさしている。