北の「湘南」、数学界の「ノーベル賞」、東洋の「サンモリッツ」……

(第172号、通巻192号)
   
     前回のブログについて「内容はともかく、着眼点がおもしろかった」と知り合いからのメールにあった。そのおだてに乗って今回は「小京都」「小江戸」の材料集めで拾った小話をいくつか並べてみよう。ほとんどは、本家の名前が有名であり、なおかつ誰もが具体的なイメージを浮かべやすい、という共通項があるが、中には本家を上回る例もある。
    
     【みちのくの小京都】。秋田の角館である。秋田の旧藩主である佐竹藩主の分家(佐竹北家)の地だが《注1》、当主の実家が京都の公家出身。京都から嫁を迎え入れたり、養子縁組みしたり、と昔から京都と縁が深く、町並みや地名にも京にちなんだものが少なくない。
    
    【北の鎌倉】。建長寺円覚寺などの名刹があるJR横須賀線の「北鎌倉」はれっきとした鎌倉であるが、こちらは「北」と「鎌倉」の間に「の」が入る。今はさほど聞かれなくなったが、かつて千葉県の我孫子は「北の鎌倉」と呼ばれていた《注2》。大正から昭和の始めにかけて、我孫子に近い風光明媚な手賀沼周辺には志賀直哉武者小路実篤白樺派の文士や杉村楚人冠バーナード・リーチ嘉納治五郎柳宗悦ら多くの著名な文化人が居を構え、あるいは別荘を持っていた。もちろん、本家の鎌倉は昔から作家、文化人が多いことで有名。先頃亡くなった井上ひさしもその一人だ。
    
     【北の湘南】。「湘南」は地域名としては全国トップクラスのブランドだろうが、その範囲、定義は必ずしも統一されているわけではない。個人的には、平塚、茅ヶ崎、大磯、藤沢、鎌倉、葉山などの周辺を思い描くが、神奈川県の行政区域や車のナンバープレートなどから言うと範囲はさらに広がる。住民それぞれぞれに思いはあろうが、一般的にいえば、海に近く気候温暖で「しゃれた」地域ということだろう。そのイメージで売り出しているのが、北海道の伊達市である。北海道の南西部・噴火湾(内浦湾)に面し、洞爺湖、室蘭に近い人口4万人弱の街だ。そこがなぜ「北の湘南」なのか。ウェブサイト「ニッポン移住・交流ナビ」の「北の湘南」編《注3》にいわく。「海と山と湖に囲まれ、田園風景の広がるこの街は、北海道の中でも雪が少なく、四季を通じて温暖な気候に恵まれている」。
    
    【東洋のサンモリッツ】。北海道のニセコといえば、蔵王と並んでスキーヤーあこがれの地である。私自身、若い頃は何回となく行ったものだ。何よりも、雪質が抜群にいい。サラサラした軽い粉雪。昔は、白くピカピカ光る細かい粒子の風邪薬に例えて「アスピリン・スノー」と言ったりした。昭和初期、第2回冬季オリンピックがスイスのサンモリッツで開かれ、日本のスキー熱を高めるきっかけになったことから、雪質のよいニセコ一帯のスキー場が「東洋のサンモリッツ」と喧伝された。近年、ニセコはオーストラリアからのスキー客で大変な賑わいだと聞く。
    
     【数学界のノーベル賞】。最後に外国の話を。ノーベル賞は科学者(一部は文学者など文化人)にとって最高の栄誉だが、なぜか、数学者は対象になっていない。その代わり、ノーベル賞よりも権威があると言われる「フィールズ賞」がある。ノーベル賞は毎年選ばれるが、フィールズ賞は、「4年に一度」、「40歳以下」、「4人まで」という制限付きの狭き門だ。その受賞者に、「ポアンカレ予想」という超難問を解いたロシア人の数学者、ベレルマンが選ばれたが、当人は受賞を辞退して世界的な話題となった。「数学界のノーベル賞」というより、ノーベル賞を超える賞を蹴ったのである。


《注1》 現在の秋田県知事の佐竹敬久氏は、佐竹北家の当主。秋田県職員だった当時から「佐竹の殿様」と呼ばれていた。

《注2》 「〜の鎌倉」と言われる所は他にもある。埼玉県の浦和もその一つだが、同地には画家が多く「鎌倉文士に浦和画家」という言葉もあるそうだ。

《注3》 http://www.iju-join.jp/prefectures/hokkaido/201023