「リラ冷え」の札幌とライラック

(第125号、通巻145号)
    「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」で始まる高村光太郎の有名な詩がある《注1》。言葉の表面だけをもじって言えば、札幌には「梅雨が無いといふ」。が、その代わり?「リラ冷え」がある。
    札幌出身の職場の若い同僚が「さっぽろライラックまつり」(5月20日〜24日)の始まる頃、GW期間中の勤務の代休を取って実家に帰り、先日、横浜の職場に戻ってきた。「天気はどうだった?」と聞いたところ、「寒かった。朝晩は家の中でス灯油ストーブを焚(た)いていたほどだった」という。これが「リラ冷え」である。
    ライラックと聞けば、通算すると10年近く住んだ札幌の街を思い出すが、リラという言葉になると「リラの花咲く頃」のシャンソンを通して(行ったことはないが)パリを思い浮かべ、それから「リラ冷え」→「ライラック」→「札幌・大通り公園」の連想に続く。いったん間を置いて別の思考回路に入る感じだ。というのも、最初に札幌に住んだ20代の頃は「リラ冷え」なる言葉は聞いたことがなかったからだ。
    「リラ冷え」という語が人口に膾炙(かいしゃ)するようになったのは、作家・渡辺淳一が1971(昭和46)年に発表した小説『リラ冷えの街』(河出書房新社)がベストセラーになってからだ。「リラ」はフランス語で‘lilas’と表記する《注2》。ふだんはほとんど手にしたことのない古ぼけた『クラウン仏和辞典』第2版(三省堂)を取り出してみたら「リラ、ライラック(の花)、すみれ色」とあった。つまりは、ライラックのことである。「ライラック」の方は‘lilac’と綴る英語をカタカナ読みした言葉。要は同じ花を指す。
    ライラックは、「札幌の木」でもある。ポプラと並んでいかにも札幌の街に似合う響きがある。が、あえてフランス語を借用して「リラ」という2音節表記に言い換えたところに後年、流行作家となる渡辺淳一の言語センスがある。とは言えなぜ「リラ冷え」と言うのか。
    札幌に限らず北海道には「梅雨」がないとされているが、本州方面が梅雨に入る少し前の5月下旬から6月上旬にかけて一時的に気温が下がる日が数日続く。ちょうどライラック(リラ)の花が咲く頃である。ここから「花冷え」ならぬ「リラ冷え」という言い回しが生まれた。
    しかし、この表現、渡辺淳一の造語ではない。北海道出身の俳人・榛谷(はんがい)美枝子さんが1960(昭和35)年に詠んだ「リラ冷えや睡眠剤はまだ効きて」がオリジナルだ。この句を気に入った渡辺淳一が小説の題名に使って世に広まり、北海道を中心に日常語としても定着した《注3》。春の季語としても知られる。
    2009年2月発行の『新版・俳句歳時記』第3版(雄山閣)では、表紙の帯に「リラ冷え、アイスコーヒーなど時代にあった新しい季語を取りいれました」と謳われている。もちろん本文の中では、春の季語として取り上げられ、「リラ冷えや旅の地酒を少し酌み」(舘岡沙織)などの例句が添えられている《注4》。
    ところで、高村光太郎は智恵子と知り合う前の20代後半、現在の札幌ドームに近い札幌・月寒の農商務省研究所「羊ヶ丘種羊場」に研究員としてごく短期間勤めたことがあったという《注5》。広大な牧草地に立って、果てしなく広がる北の青い空を見上げたことがあったかもしれない。
    
《注1》 『智恵子抄』に収録の「あどけない話」から。
《注2》 フランス語の語末の子音字は発音されないので、発音記号では[lila]、カタカナ表記にすれば「リラ」となる。
《注3》 『Webシティさっぽろ』(http://web.city.sapporo.jp/face/speak/005.html)、『日本国語大辞典』第2版(小学館
《注4》 リラ冷えは、季語としてはとうに認知されているようで『必携季寄せ』(角川学芸出版)や『合本 俳句歳時記』第4版(同)などにも掲載されている。
《注5》 今回のブログのテーマとは直接関係はないが、高村光太郎には札幌時代を題材にしたと思われる「声」という詩がある。新潮文庫高村光太郎詩集』の「道程」からその一部を紹介しよう。
 「牛が居る 馬が居る 貴様一人や二人の生活には有り余る命の糧が地面から湧いて出る 透きとほつた空気の味を食べてみろ そして静かに人間の生活といふものを考へろ すべてを棄てて兎に角石狩の平原に来い」