「フェーズ」に見る安易なカタカナ表記

(第124号、通巻144号)
    新型インフルエンザの流行は、国内での人から人への感染が確認されたことにより、社会生活にも深刻な影響をもたらす新たな局面に入った。あえて英語で表現すれば、‘entered upon a new phase’となる。「フェーズ」。このカタカナ語が、インフルエンザをめぐる報道の中で当初は頻繁に登場した。「WHO、『フェーズ4』に引き上げ」、「フェーズ5にも」などと大見出しになった。もちろん、記事本文を読むと分かることではあるにしても、ふだん見慣れない「フェーズ」という言葉が新聞の1面トップの見出しに躍り出てきた時には違和感を覚えた《注1》。
    カタカナ語の「フェーズ」は、コンピューターゲームやSF映画などで目にしている若い世代は別として、一般に馴染みのある用語とは言い難い。中・小型の『明鏡国語辞典』(大修館書店)や『新明解国語辞典』(三省堂)にも、新語に強い『三省堂国語辞典』にも掲載されていない。『広辞苑』(岩波書店)や『大辞林』(三省堂)などの中型クラス以上の辞典になってようやく収録されているほどなのだから使用頻度はかなり低い。しかも、辞書での意味はインフルエンザ感染で使われている場合とはズレがある。
   ‘phase’とは、2、3の英和辞典によれば、ギリシャ語からフランス語を経て入ってきた言葉で「(外に)現れる姿」が本義という。しかし、様々な分野で独自に使われる専門用語なので、それぞれの専門・分野によって意味が異なるケースもある。おおざっぱに言えば、「変化・発達の段階で『現れる姿』」のことだが、その語が使われる分野によっていくつかの日本語訳が考え出され、あるいは同じ訳語でも違う意味合いで使われている。
    例えば――「(問題などの)局面、段階」、「(音波、電流などの)位相」、「(天文学で)象、相(地球から見て、月やほかの惑星が周期的に見せる特定の形:新月・半月・満月など)、「(コンピューターなどの)システム開発の段階」、「薬の治験の段階」、「(医学的反応などの)時期」、「(動物の)体色変化期」、「(考古学の)相(出土物の時代区分)」など実に多様だ《注2》。
    英語では‘phase’という一つの単語が、日本語ではこれほど様々に工夫して訳されているのに、今回のインフルエンザ感染問題では突然、カタカナで「フェーズ」と言われて(おおかたの人は)面食らったに違いない。あえて「フェーズ」とカタカナのままの言葉を使わなくても「警戒度4」とか「危険度5」、あるいはカタカナを使うにしてもとうに日本語化した「感染レベル5」とでも表現した方がずっと分かりやすい、と思う。マスコミ内部でもそんな指摘があったのか、このところ「警戒度」や「警告レベル」を併用する例が増えてきたようだ。
    今年、私の住む横浜は開港してから150年周年になる。一口に文明開化というが、海外から様々な事物、製品、文化、慣習がどっと流入した際、我々の先人はそれらを伝える言葉の変換・翻訳に大変な努力を重ね、苦労した。西周(にし・あまね)が‘philosophy’を訳するのに造語したと言われる「哲学」はあまりに有名である。
    昨年、読書界の話題を呼んだ『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)の中で著者の水村美苗氏は「西洋語の氾濫」について「そもそも政府からして、翻訳語を考えだすこともせず、西洋語のカタカナ表記を公文書に使って平気である」と痛烈に批判している。私もほとんど同感である。欧米語を安易に日本語風発音のカタカナ表記にすべきでない。政府だけでない。自省を込めてのことだが、マスコミも同様だ。


《注1》 4月30日付け毎日新聞の夕刊1面トップは「新型インフル『フェーズ5』」の大きな横見出しの後、縦の主見出し「大流行直前の兆候」に袖見出しが「WHO 米の2次感染受け」という扱い。読売新聞の見出しは「WHO 警戒度『5』、朝日新聞は「警戒度5に引き上げ」だった。    
《注2》 『ジーニアス英和辞典』第3版(大修館書店)、『リーダーズ英和辞典』第2版(研究社)、『スーパー・アンカー英和辞典』第2版(学習研究社)、『日本国語大辞典』第2版(小学館)など