「藍より青し」

(第140号、通巻160号)
    
    「トラッドジャパン」。NHK教育テレビでこの春から始まった英語講座だ。従来の会話主体の語学番組とは違い、日本の伝統文化について英語で学ぶというコンセプトがユニークだ。先月末の番組では「藍染め」が取り上げられた。日本人が好むこの色は英語で「ジャパンブルー」とも言われるそうだ。藍は、『広辞苑』の定義に従えば、「青より濃く、紺より淡い」色を指す。
    
    「青は藍より出でて藍より青し」という成句がある。一年草植物の藍の葉(赤みを帯びて黒ずんだ緑色)から取れる染料の青さは、原料よりも濃く鮮やかな色合いをしている、というほどの意味だ。
    
    この句の一部を題名にしたテレビドラマがあった。NHK朝の連続テレビ小説(1972年4月〜1973年3月)の「藍より青く」だ。30年余も前の番組なので筋はほとんど覚えていないが、番組のテーマソングは忘れがたい。
       海よりも空よりも青いきらめきを 
       あこがれて丘に立つ ふたつの心 
       わかちあいし夢あれば 波高く風吹けど 
       目をあげて手をとって この道を行く
    
    若々しく詩情あふれる歌詞。きらめくような美しい旋律。そして清流のように澄んだ歌声。フォークソング歌手・本田路津子の透明感のある、美しく伸びのある歌唱が今も耳に残っている。作詞は山田太一、作曲は湯浅譲二。ジャケットがすっかり古ぼけたLPをレコードプレーヤーにかけ久しぶりに聴いてみたが、歌の魅力は藍染めと同様少しも色あせていなかった。
    
    「藍より青く」という成句の原典は中国の戦国時代の儒家荀子の「勧学篇第一」の冒頭にある言葉だが、この成句の前後の文を少し付け加えると次のようになる。
    「君子曰く、学は以(も)って已(や)むべからず。青は藍より出でて藍より青く、冰(こおり)は水これを為(な)して、水よりも寒(つめた)し」
    
    自己流に言葉を補って“超訳”してみると――学問を志す者は、すべからく努力すべきであって、途中で止めてしまうことがあってはならない。青は藍の葉から取るが、原料のままでは染料にならない。人が手間をかけた工程を経てはじめて染料になり、鮮やかな青い染め物が生まれるのだ。水は氷からできるが、工夫をこらして温度を下げないと水よりも冷たい氷にはならない。学問の成果は途中の努力いかんにかかっているのである――というような意味になろうか。
    
    藍を「師匠」に見立てれば、青は「弟子」の関係にあるとも言える。そこから「出藍の誉れ」という言葉が生まれた。弟子が師よりも優れた存在になることの譬えとして引用される定型句だ。弟子であっても努力を重ねて修行すれば、師を超えることができる、というのが本来の意味のはずだが、この言葉の近頃の使い方を見ると、弟子の名声や地位など世俗的な結果だけに重きを置きすぎて、そこに至るまでの努力や工夫《注2》を軽視しているようなニュアンスを感じ、違和感を覚えることもある。師が凡庸であっては弟子がいくら“出世”しても「出藍の誉れ」とは言い難いのではあるまいか。
    
    藍色はシンプルでありながら色合いの変化が豊かだ。前述の「トラッドジャパン」には「綿でも絹でも麻でも、どんな素材にもよく染まるので、幅広い用途に使われてきた」とある。冒頭に引いた『広辞苑』にしてもそうだ。改訂のたびに辞書本体の中身を変えてきたのは当然だが、クロース張りの表紙の装丁は現行の第6版に至るも初版以来の「藍色」を貫いている。


《お断り》 今回は、私がgooブログ時代の2006年8月30日付けで書いた「藍より青く」を一部書き換えて再掲したものです。

《注1》 電子辞書に搭載の『マイペディア』によれば、刈り取った藍の葉を切り刻んで乾燥した後、積み重ねて発酵させる。これを臼でつき固めて藍玉を作り、石灰などを混ぜて加湿するなどの工程を経て染料に仕上げる。この染料に木綿などの繊維を浸して空中にさらすと濃い青色に染まる、という。

《注2》 岩波文庫荀子』(金谷治訳注)、『日本大百科全書』(小学館)、『ベネッセ表現読解国語辞典』、『岩波ことわざ辞典』(時田昌瑞著)、『慣用ことわざ辞典』(小学館)など

《謝辞》 前回の「先生」は、昨日・8日までの1週間のページビュー(pv.)が通常の3倍近い6700pv.を超えました。身近な言葉への関心の高さに驚きました。