「先生」か「タダの人」か

(第139号、通巻159号)
    
    総選挙は新聞各紙の世論調査の予想通り、自民党が壊滅的な惨敗を喫し、民主党の歴史的な圧勝に終わった。敗れた自民党の前議員の多くは「逆風が予想をはるかに超えるほど強かった」と嘆いていたが、風というより、地殻変動と言うべきだろう。衆議院全体で前議員の落選者は過去最多の185人にものぼる。「猿は木から落ちても猿だが、代議士は(選挙に)落ちればタダの人」と言ったのは、党人派政治家の大物・故大野伴睦氏だが、今回の選挙で「タダの人」になった185人の中には首相経験者をはじめ与党の派閥の領袖クラスや有名議員も目立つ。
    
    政治家は、代議士に限らず市町村議員でも、自分は「タダの人」とは違う、という意識が強いのか「先生」と呼ばれることを好む人が多い。秘書から国会議員に当選した人の中には、秘書時代の仲間から「○○君」と親しく声をかけられて露骨に嫌な表情をすることも珍しくない。選挙運動中は、1票ほしさに土下座までしていたにもかかわらず、だ。当選したからには「○○先生」と呼ばれて当然、という思いなのだろう。
    
    「先生」という言葉は、字句通り、自分より先に生まれた人、というのが原義だ。そこから様々な場面で使われるようになった。一般的には、教師、医師や画家、音楽家、作家、漫画家、習い事の師匠、弁護士、保育士などを指す。さらには、評論家、予備校・塾の講師、講演会の講師も「先生」と呼ばれる。前述の通り、代議士などの議員も自他共に認める「先生」だ。何事にも例外はあり、「自分は絶対、『先生』と呼ばれるのは嫌だ」という人ももちろんいるが、世間で「先生」と言われる人の職業を見ると、「師」、「家」、「士」が付いている。
    
    本来は、自分より技能・学芸に長じ、人格的にもすぐれた先達を敬っていう言葉だ《注1》。その一方で「先生と言われる(呼ばれる)ほどのばかでなし」という戯れ歌がある。これを踏まえて『新明解国語辞典』第6版(三省堂)は、「必ずしも先生と呼ばれるのにふさわしくない人に対して、その自尊心をくすぐるために、また、軽い侮蔑・からかいの気持ちを込めて用いられることがある」と辛辣な語釈を示し、「先生、先生とおだてたら至極ご満悦の体であった」という文例を挙げている。
   
     しかも、語法がまた面白い。普通は三人称か、あるいは相手に呼びかける二人称の代名詞として使われる《注2》が、小学校などでは一人称の代名詞としても用いられる。教師が児童・生徒に「先生のあとについて来てください」などと言う場合だ。家庭で親が我が子に自分のことを指して「お父さん(パパ)」「お母さん(ママ)」と言うのに似ている。
    
    文脈、会話での状況などに応じて様々な意味合いに変化する。二人称の代名詞としてだけでなく、「○○先生」のように名前を付ければ、敬称にもなる。まことに便利な、用途の広い言葉だ。それ故、使い方を間違えると人間関係に影を落としかねない。


《注1》  「先生」といえば、夏目漱石の『こゝろ』の冒頭を思い出す。書き出しはこうだ。「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。(中略)よそよそしい頭(かしら)文字などはとても使う気にならない」

《注2》   医師、学校の教師、弁護士は同僚同士で「先生」と呼び合うことが多い。代議士にもその傾向がある。