「40そこそこ」と「40がらみ」と「アラフォー」の違い? 

(第138号、通巻158号)
    
    仕事を通じて懇意にしているコンピューター会社勤務の知人が還暦だというので、一献傾ける場をもった。その酒席で、還暦前後の男性を最近は「アラ還」と呼ぶことが話題になった。30歳前後の女性を「アラサー」(around 30)、40歳前後の女性を「アラフォー」(around 40)という流行語をもじって生まれた。いずれの語も、ある年齢に幅を持たせて使われるようだ。たとえば、「アラフォー」なら35、36歳から44、45歳まで意味することもあるという
    
    そこまで幅を取らずに、しかし年齢をずばり指さない表現が日本語には昔からある。「40そこそこ」は、その一例だ。ただ、この言葉を目にし、耳にするたびに、40歳を超えているのか、それとも40歳になる直前の年齢なのか、判断に迷う。どこか、すっきりしない。
    
    用例として山崎豊子著『沈まぬ太陽』(新潮文庫)から引いてみよう。悲惨な日航ジャンボ機墜落事故が起きた24年前の8月12日に思いを巡らし、事故を扱った同書の第3巻、4巻をたまたま読み終えたところだからだ。「40そこそこの男性チーフ・パーサーは、生き生きとした表情で云った」とか「50そこそこの下柳は、……髪に白いものが多く」、「30代そこそこで幼い子供を抱え」とか出てくる。
    
    年齢だけでない。身長についての表現でも「小出は、身長160センチそこそこで」という言い回しがあった。この場合、身長は160センチよりも高いのか、低いのか。速断は出来ないが、文脈から男としては背の高い方ではない、ということを表していると解釈できる。けれども、年齢についてはどう判断してよいものやら分からない。辞書に当たっても微妙にニュアンスが違う。
    
    『明鏡国語辞典』(大修館書店)には「十分ではないが一応満足できる程度であること。(数量を表す語に付いて)…くらい」とあり、『新明解国語辞典』第6版(三省堂)には「辛うじて基準に達するか達しないかの程度にとどまる様子」とある。その語義に続いて「まだ40そこそこだというのに髪は真っ白になっていた」との文例が挙げられている。また、『日本国語大辞典』第2版(小学館)は、「数を表わす語などに付いて、ほとんどそれぐらいの意を表わす語。…に足りるか足りないほど。…を余り出ないほど」と説明している。
    
    似た言葉に「〜がらみ」がある。「40がらみ」とは年齢の場合、何歳を意味するのか。40歳の手前、つまり38歳や39歳も指すのかどうか。前段の例にならって『明鏡国語辞典』を引くと「(年齢・値段などを表す語に付いて)だいたいその前後であることを表す」とあるが、『新明解国語辞典』第4版、5版、6版には意外なことに数量を表す意味としては掲載されていない。念のため、第2版、3版をにも当たってみたところ、「どんなに低く見てもそれを下回ることは無いという見込みを表す」とあった。なぜ、第4版以降からは削られたのかわからないが、私としては第2版、第3版の語義で得心した《注1》。
    
    では、「そこそこ」と「がらみ」とではどう違うのか。40歳を例にとると、どちらも40前後の年齢を示すが、「そこそこ」は40前に力点があり、しいて図式化すれば「40そこそこ≦40」《注2》、「がらみ」の方は40過ぎに比重を置いた表現で「40がらみ≧40」とも表せるというのが私見である《注3》。そこそこの説明法、と自負しているが、はてわがザル碁同様の「勝手読み」だろうか。


《注1》 『日本国語大辞典』の「がらみ」の項には、「名詞に付けて、『そのものをくるめて』『そのものといっしょに』の意を表わす。ぐるみ」と「年齢、値段を示す数詞に付けて、『だいたいその見当』『その前後』の意を表わす」とあるだけだ。

《注2》 『三省堂国語辞典』第6版は、珍しく「(その量に)少し足りない程度」との語義を載せている。それに従うなら「40そこそこ<40」となる。

《注3》 「アラフォー」をこの方式で表せば、「アラフォー≒40±5」となろうか。