「甍の波」より低くなった平成「鯉のぼり」事情

(第174号、通巻194号)
    道産子の私が葺(かわらぶき)を初めて「認識」したのは、高校の修学旅行で青函連絡船《注1》に乗り、「内地」に渡った時だった。下船して乗り換えた列車の窓から田園の中に点在する民家が見えたが、北海道のものとどこか違う感じがした。どの家の屋根も瓦だったのである。故郷の釧路では、寺社など一部の建物を除いて瓦の屋根を目にすることはほとんどなかった。たいていはトタン屋根だった。少々オーバーに言えば、屋根の瓦葺きにカルチャーショックを受けた。
     瓦屋根は、文語調の表現だと(いらか)とも言う。5月5日の「こどもの日」が近づくと歌われる唱歌が2種類あるが、そのうちの「鯉のぼり」の出だしの歌詞に「甍」が登場する。
   「甍(いらか)の波と雲の波、重なる波の中空(なかぞら)を、橘(たちばな)かおる朝風に、高く泳ぐや、鯉のぼり」というお馴染みの歌だ。
    こどもの日の別名は「端午の節句」。十二支の「午(うま)」の月は旧暦では5月にあたる。「端」は、「はじ、始め、最初」の意。つまり「端午」は、午の月の始めの午の日を指す。何日になるかは年によって違うが、「午」は「五」とも読めるところから5が重なる5月5日が「端午の節句」になったとされる。3月3日の「桃の節句」《注2》が女の子のお祭りに対して、男の子の健やかな成長を祝う「端午の節句」の象徴の一つが鯉のぼりだ。
    もう1曲は、「やねより たかい こひのぼり。おおきい まごいは おとうさん。ちいさい ひごひは こどもたち。おもしろさうに およいでる」という歌詞の「こひのぼり」。昨今はこちらの方がポピュラーなようだ。
    どちらの曲も、風に乗って高く泳ぐ鯉のぼりに子どもの成長を祈る親の気持ちが込められている。私の子どもの頃は、父親が庭の一角に太く頑丈な木の棒をグイと立て、五色の鯉のぼりをあげてくれたものだ。
    当時の鯉のぼりは平屋の屋根より高い柱に悠然と舞っていたのだろう。歌にある「甍の波」は家並みの事も指す。瓦の波打つ形を文字通りの波にたとえ、はるか上空にたなびく雲のさまをやはり波に見たてて重ね合わせる。作詞者は不詳とされているが、想像力ゆたかな歌詞で言葉の組み合わせ方のレトリックも巧みだ。
    しかし、「高く泳ぐ」鯉のぼりは、今は昔の光景だ《注3》。少子化という語に象徴されるように鯉のぼりの主役の人口が減っている《注4》。加えて住宅事情。都市部では、瓦屋根の戸建ても少なくなり、アパートやマンション住まいの人が増えつつある。近所を歩いても鯉のぼりがあまり見られなくなってきている。あげている所もたいていはマンションのベランダか小さな庭だ。
    いわば「ベランダ鯉」か「ガーデン鯉」。大きさもコンパクトになり、高さも屋根(甍)より低い。これが平成「鯉のぼり」事情、「甍の波」はもはや死語同然だ。昭和の時代同様、甍は遠くなりにけり、である。


《注1》 津軽海峡をまたぎ、函館と青森を結んだ青函連絡船は、1988年(昭和63年)3月、青函トンネルの開通をもって運航を終了した。 
《注2》 当ブログ2010年3月3日付けの「ひな祭りと桃太郎」(http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/searchdiary?word=%C5%ED%A4%CE)を参照。
《注3》 最近は、不要になった昔の鯉のぼりを大量に集めて川や渓谷の上などに流す光景が全国各地で見られるようになってきた。
《注4》 総務省が「こどもの日」を前に4日発表したところによると、今年4月現在の子ども(15歳未満)の推計人口は過去最低の1694万人。前年比19万人減で29年連続の減少。