「三日とろろ」と数字表記

(第134号、通巻154号)
    「三日、とろろ美味しゅうございました」→「三日とろろ美味しゅうございました」。東京五輪の銅メダリスト・円谷幸吉選手の遺書の一部を紹介した前回のブログで、引用個所の間違いを矢印のように訂正《注》したところ、今度は「三日とろろ」とはどんなものなのか、という問い合わせをいただいた。
   上記の間違いを指摘してくれたブックマーク・コメントには、「『三日、とろろ』ではなく『三日とろろ』という風習です」とあったので、手元にある各種の辞書、事典類で「三日とろろ」を調べてみた。が、載っていない。「三日」あるいは「とろろ」を引いてみても同様だった。思いあぐねた末に『日本大百科全書』(小学館)の「いも」の項にあたってみたところ、ようやく見つかった。それによると、東北地方では正月三日にヤマノイモをすってとろろ飯にして食べる「三日とろろ」という風習があり、これを食べると1年間健康でいられる、長生きする、などの言い伝えが残っているという。
    この記述を読んだのをきっかけに少しばかりネット探索を続けた結果、「三日とろろ」は東北ばかりでなく、北関東や濃尾地方にも残っている風習だと知った。食べる日時や調理法は地域によって多少違うが、年末年始に疲れた胃腸の調子を整える意味があるようだ。七草がゆのような正月行事の一つといえるが、私はてっきり「(円谷選手が)三日に食べたとろろ」とハナから思いこみ、「三日」の後に読点(、)を入れるという失敗をしてしまった次第だ。
    今風の新聞記事スタイルだと、洋数字を使って「3日、とろろ美味しゅうございました」と書いたことになり、意味がまったく違ってしまう。「三日とろろ」。これが一つのまとまった言葉になっているのを知らなかったのである。
    洋数字表記で思い出したが、元NHK記者の池上彰さんが7月27日付け朝日新聞夕刊のコラム「新聞ななめ読み」で、新聞各社が記事に漢数字ではなく洋数字を多用するようになってきた、としたうえで洋数字と漢数字表記で言葉の印象が違ってくる、と書いている。池上さんが例に挙げているのは、「二人羽織」を「2人羽織」、「(お遍路さんの)同行(どうぎょう)二人」を「同行2人」と書いてはおかしい、と難度の高い言葉だが、一般レベルの言葉でも慣用句や熟語になっている数詞を洋数字で表記すると妙なことになる。
    一体化(1体化)、一揆(1揆)、一部始終(1部始終)、二の足(2の足)、二十日大根(20日大根)、三叉神経(3叉神経)、四天王(4天王)、四つ相撲(4つ相撲)、再三再四(再3再4)、三寒四温(3寒4温)、四苦八苦(4苦8苦)、五重塔(5重塔)、七転八倒(7転8倒)、十五夜(15夜)、十六夜(いざよい)の月(16夜の月)、二百十日(210日)……では意味をなさない。五十歩百歩を50歩100歩とするのは冗談にしても、三々五々(3々5々)あるいは三三五五(3355)などは判じ物ないしは単なる数字そのものとしか認知されまい。
    しかし、日本一(日本1)、二人組(2人組)、二酸化炭素(2酸化炭素)、二人三脚(2人3脚)、三羽がらす(3羽がらす)、三日坊主(3日坊主)、三権の長(3権の長)、三畳紀(3畳紀)あたりになってくると、線引きが微妙だ。若い世代の中には特に違和感を覚えない人がいるかもしれない。数字表記だけでなく、言葉が変わっていくのは必然だが、できるだけ本来の表記を知っておくに越したことはない。

《注》 「言語楼」7月22日号(http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20090722