「形容詞+です」を言い換える工夫 

(第133号、通巻153号)
    前回の「形容詞+です」は出張先のホテルで書いたので電子辞書など2、3の参考文献にしか当たることができなかったが、横浜の自宅に戻ってから改めて調べてみると、「形容詞+です」に対する認識は辞書によって相当大きな違いがあることが分かった。
    『広辞苑』の扱いについては前回も簡単に触れたが、『三省堂国語辞典』第6版は新語の収録に重点を置き過ぎているせいか、「です」についての説明はわずか4行で済ましている。「断定『だ』の丁寧語。『そうです・いいでしょう』(『であります』は、より丁寧でかたい言い方。『でございます』は、ひじょうに丁寧な言い方)」とあるだけだ。
    同じ三省堂の辞書でも中型の『大辞林』第3版になると、語義を一通り説明した後、「語感」にまで踏み込んで以下のように記述している。
  [ 形容詞の終止形に付く「楽しいです」「おもしろいです」は現在かなり広がっているが、多少ぎこちなさも感じられる。一方、それに終助詞を伴う「楽しいですね」「おもしろいですよ」などは普通に用いられる。 ]
    ここで言う「ぎこちなさ」は、別宮氏や私などが抱いた違和感《注1》と同じ感覚である。たしかに、形容詞に「です」を直結させる言い方は今日ではもはや誤用とは言えない。この現実は、文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』でも是認している。しかし、いくら国が「正しい形として認めてよい」と言っても、語感が納得しないのである。

    このような違和感・ぎこちなさについてある程度丁寧に解説し、いくつかの改善策、工夫した言い回しを示しているのが『明鏡国語辞典』(大修館書店)だ。主として同辞典の記述を参考に「形容詞+です」の言い換えを考えてみると――
    形容詞を丁寧に言いあらわす表現は、『三省堂国語辞典』の説明にある通り「です」の代わりに「ございます」を使って「楽しゅうございます」「面白うございます」という形になる《注2》。この文体を目にすると、東京五輪のマラソンの銅メダリスト・円谷幸吉選手を思い出す。メキシコ五輪を前に自殺した円谷選手の遺書は「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました(中略)。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」とあり、世の人々の胸を打った。悲しくてあまりに切ない。「ございます」という表現が円谷選手の律儀で礼儀正しい円谷選手の人柄を表していた。
    しかし、一般的には、「お早うございます」や「ありがとうございます」などの定型句以外は、いささか丁寧の度が過ぎて、ふつうの文章の中では浮き上がった感じになる。そこで、「仕事は楽しいです→楽しく仕事をしています、楽しんでいます」「お会いするのが待ち遠しいです→待ち遠しく感じられます」などと工夫が凝らされる。あるいは、「理由は特にないです→理由は特にありません」「うれしいです→うれしく思います」という具合に形容詞を述語にしない形をとる。
    「です」は、もともと、体言、形容動詞の語幹に付くという性質を考えると「です」の前に名詞を置いて「楽しみです」とか「うれしい限りです」とかする手もある。言い換えは、文脈によってそのつど工夫が必要だ。

《注1》 前回の「言語楼」第132号(http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20090715
《注2》 語幹の終わりの語の母音によって規則性が認められる。たとえば「たい(a+い)」の場合、「たこうございます」となる。「おいい(i+い)→おいしゅうございます」「かい(u+い)→かるうございます」「おい(o+い)→おもうございます」という具合だ。ただし、「(e+い)」の形の形容詞はない。
《訂正》 円谷選手の遺書の一部を紹介する際「三日、とろろ美味しゅうございました」と、「三日」と「とろろ」の間に読点(、)を入れて引用しましたが、tatesemiさんからブックマーク・コメントで「『三日、とろろ』ではなく、『三日とろろ』という風習です」との指摘を受けました。確かに当方の引用ミスでした。申し訳ありません。ブログの該当個所を24日に訂正しました。