「よみする」嘉(カ)の意味と用法

(第119号、通巻139号)
    
    今月10日に結婚50年を迎えられた天皇、皇后両陛下の記者会見。映像・音声入りのTVニュースは見られなかったが、新聞各紙が伝えた一問一答形式の会見の詳報は目を通した。その中で「言語楼」としての私が興味をひかれたのは天皇の次のような発言だった。
    
    「結婚50年にあたって(皇后に)贈るとすれば『感謝状』です。皇后はこのたびも『努力賞がいい』としきりに言うのですが、これは今日まで続けてきた努力を嘉(よみ)しての感謝状です。本当によく努力を続けてくれました」。
    
    「嘉」という漢字を目にするのは、固有名詞か年賀状(「嘉祥」「嘉瑞」など)、あとは年号(「嘉永」など)ぐらいで、それ以外はほとんど記憶がない。「嘉する」の動詞の活用形でこんな風にも使えるのか、と初めて知った。
    
    ある文字を他の字と間違わないよう説明することを「字解き」という。「嶋」を「ヤマドリの嶋」、「島」を「アイランドの島」、あるいは「三本ガワ(川)」、「サンズイの河or大きなカワ」などといって区別するやり方だ。では、「嘉」の字はどう説明すべきか。
    
    新人記者のころは大抵、「喜ぶという字の下の‘口’の代わりにクワエル(加)を書く」とまだるっこい言い方をしたり、「カエイガンネン嘉永元年)のカ」と苦心して説明したものだ。私もそのクチの一人だったが、仕事で原稿を読み合わせする時は「ヨミするカ(嘉)」と簡潔な言い方で通じた。それが、職場での慣習的な字解きだった。しかし、なぜ「ヨミする」と言うのかまでは知らずにいた。
   
     脳科学者の茂木健一郎氏は、小林秀雄賞を受賞した『脳と仮想』(新潮社)の中で「言葉の一つ一つの意味は、私たちが生まれ落ちてからの人生のながれのどこかで学んだはずのものだ。私たちの中でのある言葉の意味の了解は、これまでの人生でその言葉に出会った体験(タッチポイント)の総体で決まる。母国語の単語を、『その言葉はどういう意味?』とあからさまに聞いたり、あるいは辞書で調べたりすることはほとんどない」と述べている。
    
    私の場合、「嘉」とのタッチポイントは入社当時の先輩の教えだけだった。その後はただ惰性で「ヨミするカ(嘉)」と言い続けてきたに過ぎず、意味を調べることもしなかった。だから「タッチポイントの総体」といってもたかが知れており、「言葉の意味の了解」に至るまでいかなかった。
    
    「嘉」の語義、用法を知ったのは、若い人を教える立場の歳になってからだ。『岩波国語辞典』第5版によると、「身分の上の人が目下の者の行いなどをよし、とする。ほめる」の意である。天皇の言葉遣いはまことに適切で、しかもさりげなく雅趣を感じさせる用い方だと感服した。 
    
    「嘉肴(かこう)ありといえども食らわずんばその旨(うま)きを知らず」という中国の名句がある。うまい酒のさかなであっても食べてみなければその味は分からない、というほどの意味だが《注》、言葉も使ってみなければ良さは分からない。嘉する、という語の実際の使い方を目にしたのは、私個人にとっては冒頭の天皇の記者会見の記事が初めてである。


《注》 『日本国語大辞典』第2版(小学館