「世間ずれ」した人同士だと話も「なし崩し」に「煮詰まる」?

(第118号、通巻138号)
    「煮詰まる」という言い方がある。元々の意味は、「煮えて(鍋など容器の中の)汁・水分がなくなる」ことだ。「汁が煮詰まったところで火を止める」などと使われる。その原義が比喩的に転用され、「会議、交渉、話し合いなどで議論が出尽くして論点が絞られ、問題が解決に近づく」の意で「議論が煮詰まった」「計画が煮詰まる」などと用いられることも多い。
    この「議論が煮詰まった」を、近年は「行き詰まる」と、逆の意味に解釈する例が目立ってきたという。「議論が煮詰まってしまって、いい考えが浮かばない」、「討論が煮詰まって堂々巡りになり、出席者の頭も働くなくなった」などというのだ。ネットのYAHOO辞書『大辞泉』では、「1950年ころの使用例があるが、広まったのは2000年ころからか」との見方を示している。ほとんどの辞書が認知していない中で、新語・新語法の採録に積極的な『三省堂国語辞典』第6版だけは、「俗用」としながらも「どうにもならなくなる。いきづまる」の語義を載せている。
    上述の用例は、私自身は聞いたことのない使い方だが、「なし崩し」という語の次のような‘新解釈’にも意表を突かれた。「物事をあいまいなうちになかったことにする」というのである。
    「なし崩し」で私の語感にピッタリくるのは、『新明解国語辞典』第6版(三省堂)が語義の2番目に挙げている「正規の手続きなどを経ずに少しずつ既成事実としていくこと」だ。たいてい、よくないことに使われる。「法改正をせずになし崩しに既成事実としていく」というのはその典型的な文例といえる。もちろん、これは正しい用法なのだが、かく言う私自身にとって意外だったのは、この言葉のそもそもの原義だ。
    本来の意味は、「物事を少しずつ処理していく」ことだとばかり思いこんでいた。しいて漢字表記にすれば、「無し崩し」ということになろうか。ところが、本当は「済し崩し」と書いて「借金を少しずつ返すこと」が元来の意味だという。このブログを書くにあたり、念のため辞書を引いて初めて知った次第だ。原義と転義を取り違えていたのである。
    「世間ずれ」という言葉も誤解されがちだ。本来は、「世間の荒波にもまれているうちにずる賢くなる」ことをさす。普通は「この春入社した新人は世間ずれしていない」という風に否定形で使われることが多い。純真だ、というほどのプラスイメージの含意がある。
    『三省堂国語辞典』にはしかし、「(あやまって)世間の動きとずれていること」の語釈も掲載されている。それだけ、誤用が広まっているとも言える。ちなみに、「世間ずれ」は漢字表記だと「世間擦れ」。つまり物と物がこすれあうことを人間にあてはめた言葉なのだろう。無理矢理シャレめかして言えば「食い違う」「外れる」という意味からは‘ズレ’ているわけだ。