読み方が一番多い漢字は「生」。何通りあるか? 

(第113号、通巻133号)
    
    「生と死」。対義語でこれほど両極端な関係のものはあるまい。「せい」と「し」。実は意味だけでなく、読み方の上でも際だって対照的だ。「死」の読みは音、訓とも同じで、「し」一つしかない。それに対して「生」は音読みこそ「せい」と「しょう」の二つだけだが《注1》、訓読みの方は何通りもある。それも尋常な数ではないのである。
    
    中国語学が専門の高島俊男氏は『漢字と日本人』(文春新書)の中で「もっとも訓の多いのは多分『生』で、うむ、うまる(うまれる)、いく(いきる)、はゆ(はえる)、おふ(生いたち)、なす(生さぬ仲)、ある(ひつぎのみこは生れましぬ)《注2》、き(生薬)、ふ(芝生)、なま、うぶ、など10種あるいはそれ以上の訓がある」と述べている。確かに、常用漢字表にある訓は「いきる」など10種類に過ぎないが、日常ごく普通に用いられている読み方はもっとある。『新潮日本語漢字辞典』には、これに5種加えて計15通りの訓が掲載されている。
    
    しかし、これでも普段の生活レベルの「生」の読みをカバーしきれていない。たとえば、春三月の異名「弥生」の「よい」、首相の姓「麻生」の「う」をはじめとして「生憎(あいにく)」の「あい」、「生粋(きっすい)」の「きっ」、「平生(へいぜい)」の「ぜい」、「早生(わせ)」の「せ」、「晩生(おくて)」の「て」、「生業(なりわい)」の「なり」、「大往生(だいおうじょう)」の「じょう」など。
    
    ふだんはあまり目にしない珍しいところでは、「生絹(すずし)」《注3》の「すず」、「生贄(いけにえ)」の「いけ」、『君が代』の歌詞の中の「苔の生(む)すまで」の「む」などがある。熟語になったもので、必ずしも一語一語分解出来ない語句に「生」の字を使って――「埴生(はにゅう)」、「寄生木(やどりぎ)」、「生計(くらし)(たつき、とも)」、「生命(いのち)」と読ませる例も見られる。
    
    さらに、「生保内(おぼない)」、「生見(ぬくみ)」、「壬生川(にゅうがわ)」、「竹生島(ちくぶしま)」、「福生(ふっさ)」、「七生(ななみ)」《注4》などの地名や人名を入れると、「生」の読みはケタ違いに多くなる。一説には150通り以上あるとも言われる。「明」や「上」、「下」の字も読み方が多いことで知られるが、「生」にはとうてい及ばないのではあるまいか。
    
    漢和辞典『字通』(平凡社)によると、「生」は、草の生え出る形からとられた字で「すべて新しい生命のおこること」が原義という。


《注1》 唐音で「さん」とも読む。    

《注2》 「生(あ)る」とは、神霊・天皇など神聖なものが出現する、生まれる、現れる、ことの意。小学館『全訳古語例解辞典』第2版には、『万葉集』から「橿原(かしはら)の聖(ひじり)の御代(みよ)ゆ生(あ)れましし神のことごと(橿原の聖天子の御代以来お生まれになった天皇のすべてが)」の一節が引用されている。
《注2の補注》 「御代ゆ」の「ゆ」は上代語の格助詞。動作・作用の起点を示す「〜から」「〜より」の意。

《注3》 「生絹(すずし)」とは、生糸を織ったままで練っていない絹布のこと。軽くて薄い(『岩波古語辞典』より)。

《注4》 『ローマ人の物語』、『ローマから日本が見える』などイタリアもので著名な作家・塩野七生氏の名前。