「大地震」は「おお地震」か「だい地震」か

(第226号、通巻246号)  
    東日本大震災から11日で2カ月。未だに肉親が見つからない人もいれば、原発放射能による“透明汚染”で自宅を追われている人たちもいる。惨禍をもたらしたあの大地震。NHKなど各放送局は“3.11”に限らず「大地震」を「おお地震」と読むのが常だが《注1》、世間一般では「だい地震」と発音する人の方が多いのではないだろうか。しかし……。
    『NHKことばのハンドブック』(1992年3月25日発行)は、[接頭語「大」のつく言葉で、「だい」か「おお」か迷うことがよくあるが、「大地震」の場合は、正しくは「おおじしん」である] 《注2》と説明している。後段を読むと、実は読み方の揺れについても一応言及しているのだが、正しい読み方は「おおじしん」と明言していることに変わりはない。
    さらに同書は、「大」の読み方の一般的な決まりを次のようにいう。[原則として「大」のあとに漢語(音読みの語)がくると「だい」、和語(訓読みの語)がくると「おお」だとされている]。
    古語辞典の教えるところによれば、古い大和言葉では地震のことを「なゐ(い)」と言った。元は「大地」の意だったそうだが、『岩波古語辞典』の「なゐ」の項には「地震」の漢字を充てている《注3》。「なゐ」は大和言葉、つまりれっきとした和語だから、『NHKことばのハンドブック』にいう原則を当てはめると、「大地震」と書いて昔は「おおなゐ」と読んでいたと推定される。
    その具体的な文例が有名な古典にある。「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし」の流麗な書き出しで知られる『方丈記』だ。元暦年間の1185年7月の「文治京都地震」について述べたくだりにこうある。
    「おびたゝしく、大地震(おほなゐ)ふること侍りき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて、河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて、陸地を浸(ひた)せり。土裂けて、水湧き出で、巌(いはほ)割れて、谷に転(まろ)び入る。渚(なぎさ)漕(こ)ぐ船は、波に漂ひ、道行く馬は、足の立ち所(ど)を惑はす」《注4》。今回の東日本大震災の惨状を800年も前に見通していたかのような記述内容に驚くが、ここでは文中に「おびたゝしく、大地震(おほなゐ)ふること」とあるのに注目していただきたい。「おほ」は現代の表記では「おお」のことだ。
    偶然にも、9日付け朝日新聞朝刊の「歌壇 俳壇」ページの随筆欄に、俳人の辻桃子さんの「地震(ない)カンテラ走る春の闇」という一句が載っていた。東北新幹線に乗っていて大震災に遭遇し、停電で真っ暗闇になった車内の様子を詠んだ作品だが、「地震」の2文字の右横に「ない」とルビが振ってあった。「大」にルビはなかったが、ここは当然「おお」と読むのだろう。
    こう書いてくると、「大地震」はやはり「おおじしん」というのが昔からの正統な発音、と思われてしまいそうだ。ところが、言葉の実相はそう単純ではない。そもそも、「大」のあとに漢語がくれば「だい」、和語がくると「おお」、というもっともらしい原則が原則に値するのかどうか自体があやしいのである。この続きは次回に。


《注1》 『朝日新聞の 漢字用語辞典』も「大地震」の見出し項目に「おおじしん」とルビをふっているが、「だいじしん」は見出しに立項されていない。
《注2》 本の中での表記は「ダイ」か「オー」か、とカタカナでしかも「オオ」ではなく「オー」と音引きになっているが、同書の後継ともいうべき『つかいこなせば豊かな日本語』(NHK出版)では、一般的な表記に変わっているので、当ブログもそれにならった。
《注3》 社団法人「日本地震学会」のウエブサイト版広報紙のタイトルは「なゐふる」という。「なゐ」は「大地」、「ふる」は「震動する」の意味です、と注釈がつけてある。(http://wwwsoc.nii.ac.jp/ssj/publications/NAIFURU/naifuru.html
《注4》 『方丈記』は、対句を巧みに使った和漢混淆文の傑作として名高い随筆だが、このブログの一節はウエブサイト「古典文学ガイド」(http://koten.sk46.com/chusei/hojoki.html)からの引用による。