国語辞典の編者は「ご存知」か「ご存じ」か

(第228号、通巻248号)  
    
    国語学者水谷静夫氏と言えば、斯界ではコンピューターを活用した言語処理の研究で名高いが、一般には『岩波国語辞典』の編者として知られる。その水谷氏の近著『曲がり角の日本語』(岩波新書)は、知見に富んだ魅力的な日本語論で語り口も軽妙だが、実は読み始めてすぐ違和感を覚える表現に出くわした。
    
    第一章「辞典になぜ改訂が必要か」の第1節にあたる「言葉は移ろうのが当たり前」の7行目に「ご存知のことに駄目を押すようで大変失礼かもしれませんが、ここで辞書というもののおさらいをさせてください」とあるのだ。私自身、つい「ご存知」と書くこともあるが、正しくは「ご存じ」と表記する、と教えられてきた。
    
    「ご存知」か「ご存じ」か、については当ブログの第192号(2010年9月8日付け)で一度取り上げたことがあるのだが、国語辞典編集50年余の碩学が書かれた文章なので、改めて興味をそそられた。同氏が編纂した『岩波国語辞典』(第7版)ではどう記述しているのだろうか。「ごぞんじ」の見出しの項には、「御存じ・御存知」の2通りの漢字表記が載せられている。一応は並列の形だが、配列の最初にある方を「第一」と受け止めるのが普通だろう。
   
     前号のブログでは「大地震」の読み方について、同じ辞典でも版が改まると扱いも変わる例を紹介したが、今号では「御存じ・御存知」の表記のうち最後の文字が「じ」か「知」か、に焦点を絞りいくつかの辞書を比較してみたい。
    
    最初に岩波書店発行の辞書を2冊。『広辞苑』(第6版、DVD-ROM版)は見出しに「ご‐ぞんじ【御存じ・御存知】」を立て、「1)“存じ”の尊敬語。知っていらっしゃる2)存じている人。しりあい。知己」と語釈を説明。見出しも含め『岩波国語辞典』とほとんど同じ扱いだ。が、『岩波古語辞典 補訂版』はかなり趣が違う。「ぞんじ」の見出しを立項して「存じ」と表記し、「御存じのごとく、バテレ様の……」という用例《注1》を示している。そして「『存知』は当て字」と明示している。
    
    「御存知」を当て字としているのは『明鏡国語辞典』第2版(大修館書店)も同様だが、『現代国語例解辞典』第4版(小学館)は断定を避け「『御存知』は同義の漢語『存知』からの当て字か」としている。『新明解国語辞典』第6版(三省堂)は、見出しには「御存じ」だけしか出していないものの、語釈の後に「『御存知(ゴゾンヂ)』とも書く」と追記しており、やや中間派的な色合いだ。
    
    ここは、我が国最大の『日本国語大辞典』第2版(小学館)にご登場願おう。見出しは「御存じ・御存知(ヂ)」の2本立てだが、語釈の後の「語誌」で次のように詳しく述べている。
    [「存じ」と「存知(ゾンチ)」は本来、別の語であったが、「虎明本狂言」では「御ぞんじ」「御存じ」に交じって「御存知」が2例見える。江戸初期に起こった四つ仮名《注2》の混同でヂとジが同音になったうえ、意味の類似も手伝って、「存じ」と「存知(ゾンヂ)」が混同するようになったと思われる]。
    
    『日本国語大辞典』には用例がいくつか添えられている。その中に、英国留学中の夏目漱石正岡子規に宛てた手紙がある。下宿先のインテリ老婦人から「『夏目さん、此句の出処を御存知ですか』などと仰せられる事がある」という一節だ。我が国きっての文豪も使っている《注3》のだから、どちらを使うかは個人の好みの問題だ。水谷氏も先刻「ご存知」だからこそ、あえて「言葉は移ろうのが当たり前」の節を冒頭に設けたのだろう。


《注1》 原典は『コリヤード懺悔録(ざんげろく)』。岩波文庫の同書の帯によれば、コリャードはスペイン人宣教師。1619年来日、布教に従事した。本書はその彼が日本人キリシタン宗徒の懺悔(告解)を記録した異色の書。日本語による赤裸々な罪の告白が、十誡の順序に従って収載されている。当時の日常の日本語を伝える重要な資料であり、また信徒の生活や風俗習慣をうかがい知る上で貴重な文献。

《注2》 「四つ仮名」とは、『デジタル大辞泉』の説明を借りると、「じ」「ず」「ぢ」「づ」の四つの仮名、およびこの仮名で表される音。古くは、「じ」「ず」は摩擦音、「ぢ」「づ」は破裂音で、「じ」「ず」「ぢ」「づ」はそれぞれ異なる音で発音され区別されていた。それが室町末期になると、「ぢ」「づ」が破擦音になったため、次第に「じ」「ず」との混乱が起こるようになり、17世紀末頃までには、中央語でも「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の区別がなくなり、現代と同様となった。発音の区別の消失とともに、仮名遣いの上での問題となった。

《注3》 もっとも漱石は、当て字の“名手”でもある。「馬穴」と書いて「バケツ」、「故意とらしい」を「わざとらしい」と読ませたり、「例よりも」を「いつもよりも」というしゃれた使い方もしてる。googleやyahooで「漱石と当て字」を検索すると、1万件以上もヒットする。

【余話】 辞典探索していると思わぬ知識を得ることがある。恋文などの末尾に「御存じより」と書いて差出人の名を伏せておく場合に用いる、というのもその一例だ。今や死語だろうが、あなたの知っている人、の意という。